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ゾンビと規格の類似性―文化の国際標準化(中編)

2023/07/03

前編では、ゾンビ映画の変遷から、標準化の共通点やジャンル形成の効果について伺いました。中編では、さらにゾンビと規格との関係にフォーカスします。

「時間の節約」―標準の持つ機能

J:
お話を伺っていて、ゾンビのジャンルはある意味フォーマットといいますか、標準と捉えられると感じました。また、それが時代に合わせて変わっていくことも規格と同じです。
先ほど「ジャンルが確立されていれば説明が不要」というお話がありましたが、実はこれも規格の機能と合致していると感じました。あまり語られていない側面なのですが、規格には「時間の節約」になるという機能があります。

規格があれば、そこに書かれていることをわざわざ別の方法でもう一度行う必要が無くなります。「車輪の再発明」のような事態を防げるのも標準・規格の持つ重要な機能だと考えています。
岡:
なるほど、面白いですね。先程の話の続きですが、ゾンビが更に面白いのは、「オーディエンス(視聴者側)にとっての良さ」にも繋がっていることです。

受容側としてもジャンルものは安心感がある訳ですね。これは「ブランド」が果たす役割と似ています。例えば、ユニクロであれば、他の服ではなくユニクロの製品が自分に合っているとか、ユニクロの店にさえ行けば何か自分に合ったものが見つかるはずだという確信を持ったユーザーはもう他には行かない訳ですよね。服で困ったらユニクロに行こうという話になりますので。これはまさにブランドが果たす役割なのですが、ゾンビ映画が好きな人がゾンビ映画というだけで得られる安心感と同じなのです。
加えて、このゾンビという規格が面白いのは、「ユーザー側(受容側)が決めている」部分があるという点です。
J:
それはどのような意味なのでしょうか?
岡:
ジョージ・A・ロメロという監督が撮った、食人系ゾンビのスタンダードを作ったと言われている『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』という作品があります。ロメロ監督はその後も『ゾンビ』や『死霊のえじき』といったゾンビ映画を沢山撮っていくのですが、『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』を撮った時は、「自分ではゾンビ映画を撮ったとは思っていなかった」と言っていたそうです。確かに作中でもゾンビとは言っておらず、「グール」という名前で呼んでいます。
ロメロが参考にしたのは『地球最後の男』という作品でした。これはヴァンパイアものなのですが、ドラキュラ伯爵のような高貴で特別な感じではなく、一般の人たちがウイルスが原因でヴァンパイアになってしまったという設定だったのです。『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』はそれを下敷きにしてはいますが、ヴァンパイアという言葉は使わないので、ニンニクが効くとか十字架が…という話も全然出てきません。
『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』では、なぜか分からないけれども人が死ぬと蘇って人間に襲いかかるという不気味なモンスターを作った訳です。

でも、映画を観た人や批評家達は「ゾンビが人を喰った」と思ったんですね。それで、「これはゾンビだ」という風に言われてしまった。
ロメロも最初は否定して、「いやゾンビではない、新しいモンスターだ」と言っていたらしいのですが、皆が「ゾンビだ、ゾンビだ」と言うので、「分かりました。自分はゾンビ映画の監督です」となったそうです(笑)。

新市場創出と真似

J:
「ユーザーが規格を決めている」については、押井守監督も全く同じことをおっしゃっていました。ゾンビ映画にもそのような側面があるのですね。
岡:
そうですね。「走るゾンビ」でも同じことが起こりました。「走るゾンビ」の嚆矢については諸説ありまして、どれぐらいの速度で走るかなど、人によって見解が異なるんですね。走るゾンビが全盛になるのは2000年代からなのですが、その前から走るものは描かれていたのです。
『ナイトメア・シティ』という作品が最初だと言われていたり、あるいは『バタリアン』という作品の中でもゾンビは走ってきます。マニアの方は「走るゾンビはそのもっと前からある」と言うのですが、そんなこと言い出したら『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』の時も若干小走りで走っているんですよ(笑)。ここで重要なのは、それを「沢山の人が真似するかどうか」「多くの人に受け入れられるかどうか」という話なのです。
J:
なるほど。
岡:
ここは標準化の話に繋がってくると思うのですが、『バタリアン』という作品はどちらかと言うとギャグなんです。
「普通は走らないゾンビが走った、これは面白いね」という文脈なんですね。『ナイトメア・シティ』はどちらかというとシリアスな作品なのですが、でもこの時は他の人が真似しませんでした。ところが、2000年代入ってからダニー・ボイルという監督が撮った『28日後…』という映画が公開されまして、この後に「走るゾンビ」がものすごく増えたんですね。ですからこれは発明だったのです。
この『28日後…』は、先ほどお話した『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』と同じことが起こっていて、ダニー・ボイルは別にゾンビを撮ったとは思っていなかったと話しているんです。確かに作中でも、「レイジウィルス」という「怒りに我を忘れるウイルス」に感染すると、怒りに支配されて走って追いかけてきて他者を攻撃する状態になる、という設定だったのですが、多くの人は「ゾンビが走った」と思った訳です。
その後この映画のフォロワーとしてゾンビ映画を撮る人たちが、続々とゾンビを走らせ始めたのです。
J:
『28日後…』という作品には他に真似されるような、何か特徴的な要素があったのでしょうか?「ウイルス感染」が新しい要素だったのでしょうか?
岡:
ゾンビになる理由の一つとして、病原菌は割と昔からであったので、ウイルス自体が新しい要素だったという訳ではないのですが、『28日後…』は、すごく迫力もありましたし怖いですし、作品自体が非常に面白かったんですね。
実はゾンビ映画の本数って90年代に入るとすごく減ってしまいます。60年代から80年代にかけて増加していくのですが、90年代に一旦数を減らすんですね。しかし、2000年代にまた爆発的に増えることになります。これは下火だった90年代に、ゲーム『バイオハザード』(1996年)が登場し、2002年にその実写映画が公開され大ヒット。さらに同年に映画『28日後…』がイギリスで公開され、「走る」というゾンビ表現の新しい可能性が見出される…2000年代のゾンビ映画の数の急増は、これらが相まった結果なのです。
J:
たしかに、真似をされるというのは大事な要素で、フォロワーが出てくることによって市場が大きくなります。特に新しい市場を開拓する場合、それが必要になります。当会では新市場創造型標準化制度を実施・支援していまして、先程のトップ作品のような形で、中小企業がもつ尖った技術を規格にするものなのですが、尖った一社だけではなかなか市場は広がりません。そこで、標準(規格)を作り、ある意味真似をし、ライバルなどにも広く参加してもらい、先ず市場を育てるという戦略が取られます。これに似ていると感じました。標準は皆に使ってもらうことが大事ですし。

不定形な規格としてのゾンビ

岡:
なるほど。私は本も執筆するのですが、今のお話は映画だけでなく、色々なところにも関係すると思います。書籍も、多くの人に注目されるものが出たら、普段本を買わない人が本を買って読んだりします。やはり大ヒット作品は結果として市場を広げると思うんですね。ゾンビというジャンルが生き残っているというのは、やはり要所要所で市場を広げてきたからというのはあると思います。それだから若い人もゾンビものが好きだったりするのですが、これは別に誰かが戦略的にやってきたというよりは、ゾンビというジャンルの中での創造性というか、ジャンルの中での自由度がかなり高いことが理由にあるのだと思っています。
つまりゾンビというジャンルの不定形さ、きちんと定義されてないが故に他の物をアメーバー的に捕食していく様こそが、ゾンビというモンスターでありコンテンツの最大の魅力なのではないかと思っています。
J:
「ゾンビもの」というフォーマットさえ借りれば、色々なことができるということですね。
岡:
はい。先程お話したように、説明不要で楽ですし、受容側も楽なんですよね。クリエイターとしてはそのフォーマットから入って、様々な工夫もできます。
「今度のゾンビはこう来たか」のような感じで、いつものゾンビものと思わせてちょっと違う話にしてみたりなど、様々なクリエイティブを発揮する土壌として、「ゾンビもの」というフォーマットは使いやすいし、受容もしやすいのだと思います。
J:
先ほど、ゾンビ映画は90年代に一旦数を減らしたというお話がありましたが、これには何か理由があるのでしょうか?
岡:
90年代になぜゾンビ映画が減ったかと言うと、色々な理由があるのですが、「飽きられた」というのが大きいと思います。粗製濫造ではないですが、80年代にもの凄く沢山作られましたから。「ゾンビものだったら売れるだろう」という慢心も生まれたのかもしれません。

そうなると今度はジャンルの衰退を生むという話になってきます。でもその中で『28日後…』の「走るゾンビ」のような新機軸が発見される訳です。
それで再び活性化してフォロワーが追随し始めるという流れがありました。
J:
先ほど「ゾンビものの不定形性」のお話をされましたが、ゾンビというゆるやかな枠組みがあるその中でのクリエイティブの発揮は、規格で言う、「制約の中の自由」に近いと感じました。規格はある意味では制約にもなり得るのですが、その中でクリエイティビティといいますか独自性を発揮し、新しいものが生まれる余地はあると思っています。
岡:
そうですよね。全く何も無い状態から作るのは本当に困難極まる作業だと思うんですよね。やはり寄る辺があるからこそ、人にも理解してもらえますし。これは我々の研究の世界でも同じでして、先行研究を踏まえて、自分の論を展開していくのですが、これまで積み重ねてこられた人類の英知をきちんと参照することによって、そこと接続することによって自分がやりたいことや研究の価値を説明します。この点は規格も映像作品も一緒だと思いますね。

後編はこちら





岡本健

近畿大学 准教授。総合社会学部および情報学研究所に所属。
観光社会学、メディア・コンテンツ研究が専門。アニメ聖地巡礼、コンテンツツーリズム、ゾンビ、VTuber、ゲーム(アナログ/デジタル)などの現代文化を幅広く研究しており、「ゾンビ先生」としてVTuber活動も展開。著書に『大学で学ぶゾンビ学』、『巡礼ビジネス』、『アニメ聖地巡礼の観光社会学』、『コンテンツツーリズム研究[増補改訂版]』、『ゆるレポ』など。