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押井守監督に聞く 映画における規格(後編)

2021/10/19

前編では、映画については2つの規格が存在する、というお話を伺いました。
後編では、その規格が作品に与える意味や規格を決めているのは誰か?など、さらに深く伺っていきます。


映画におけるJISマーク?

押:
昔はアングラ映画って言って、みんな観に行ったんですよ。概ね裸が出てくるので(笑)。
学生のときにそういう上映会をやっているところと付き合いがあって、ジャン・ジュネが原作の映画だったですかね。若い子が裸で出てくるシーンがあったんです。会場は公共のホールだったので、支配人が激怒して「警察が来たらどうするんだ」と大騒ぎ。でも、流している方は芸術だと思っているから、ケンカになる訳ですよ。
映画は配給のために映倫を通さなければならないんです。映倫っていうのは言ってみればJISマークみたいなものですかね。
「業界団体として認めました、基準を満たしています。」と分かるようにする、映画にも工業製品と同様の仕組みがある訳です。
でも、あれって法的な根拠は何もない。知らない人がいっぱいいるんですけど、あってもなくてもいいんです。
映倫のマーク申請って、脚本のチェックと、完成した際の試写に、3、4人が来て、「これでよろしい」ということになると、マークがつきます。100万円くらいの費用ですね。
大作であれば別にどうってことないんですが、5~600万円で作っている映画にとっては、100万円は非常に大きい。では、映倫マークが無いと何が困るかというと、小屋(映画館)がかけてくれなかったりするのです。何かあったときに、責任を取りたくないからですね。そこで映倫のマークがあれば、「お墨付きがあったんです」と警察に言えるわけです。
業界のお墨付きですね。でも、監督やプロデューサーが欲しい訳でも何でもない。
J:
なるほど。
押:
エヴァンゲリオンなんかも、映画のタイトルの後に、3次元で映倫マークを作ってぐるぐる回して見せたんですが、あれは嫌がらせですよ(笑)
あと、映画では「レーティング」も規格ですね。R指定とかX指定とか。これも結構微妙で、僕の映画はだいたいR15ですね。結構暴力的なので。僕が作った映画は暴力と縁が切れたものは一回も無いんです(笑)
このレーティングによっても、かけてくれる映画館の数が決まったりする。映画としては、「これは中学生にも見せないと回収できないんだけど」という事情もあったりする訳ですが、R15だとそれが出来なくなってしまうんですね。
J:
レーティングは線引き(基準)が難しそうですね。
押:
深作欣二という監督が、『バトルロワイアル』という映画を撮って有名になりましたが、R15だったんですよ。テレビのインタビューで、監督は「中学生はもぎりを突破して観に来い!」と言いました。いけないことなんですけどね(笑)。
成人映画は分かりやすいじゃないですか。18歳上で無ければダメと。まぁでも、映画館の受付の人の裁量一つという部分もありますね。言ってしまえば。
私も童顔だったんで、大学生だと言っても信じてもらえなくて苦労したことがあります。
ちなみに、招待券で入ったということであれば、補導されても映画館側の責任にはならないんですよ。

内的な規格が作品に与える意味

J:
お話し頂いた、「内的な規格」は映画における表現にどのような影響を与えるでしょうか?
押:
映画において物理的な規格は厳然とあって、それを変えるとなると文字通り大事なのですが、内的な規格は先ほどもお話したように曖昧なところがあるんです。でもだからこそ、映画は表現の可能性が沢山出てくると言えますね。
『プラトーン』のように、表面的に見ると、戦車とか戦闘機とかいっぱい出てくるけど、実は人間のドラマなんだ、とか。どう考えたってあれは文芸映画じゃないですか。人間の中の善なる部分と悪なる部分。堂々たる文芸映画です。パッと見は、戦闘シーンだらけだし、戦争映画ってなりますよね。でも評価するとすれば、戦争映画にはならない訳です。いずれにせよ、どういう形で世の中に出るのか、というのは曖昧なんです。
宣伝でどっちに売りたいか、ということで、蓋開けてみたら「全然違う」ってことはいくらでもありますよね。
これが、監督の立場からすると、勿怪の幸いといいますか、言い張れる訳です。「自分の作品は全てエンターテインメントです。堂々たる商業映画です」と。
J:
なるほど。ある意味表現の可能性を広げているとも言えるのですね。
押:
例えば、私の『立喰師列伝』という作品は、実は日本の戦後史を描いている真面目な映画なんですよ。驚くべきことにこれはベネチア映画祭に出て、図らずも賞を取りかけた。ドキュメンタリーの賞です。内容は全部架空(ウソ)なんですけどね(笑)
審査されたときにそれにハタと気が付かれて、受賞とはなりませんでした。
でも、海外ではすごく評判が良かったんです。海外で日本映画と言えば、戦後映画なんです。ロベルト・ロッセリーニなど、イタリアもそうですね。日本の映画とイタリアの映画ってよく似ているんですよ。
最近では戦後を描いた映画が無いなかで、久々にちゃんとした戦後映画が出てきた。それが『立喰師列伝』だったんです。
これがベネチア映画祭に行くわけですから、「内的な規格」というのは実にいい加減に出来ていると分かりますよね。でも、だからこそ映画というものは面白いし、発展してきたところがあるのです。
J:
鑑賞する人によって映画における「内的な規格」も変わるようですね。最近ではアニメーションも、鑑賞者の層が広がったように思います。
押:
アニメーションはついこの間まで、子供の観るものでした。かつては「中学生にもなって、まだマンガ映画観ているのか」という感じでしたが、今は40、50の大人が観ても誰も何も言いません。
実際、昔のアニメーションは可愛らしいものだったんですよ。要するに記号的な表現です。ガンダムやヤマトだって、ちょっとリアルな雰囲気で、単なる記号の約束事じゃなくて、もう少し切実な芝居、切実なダイアログがあったり、何とかアニメーションの表現を突破しようという、平たく言えば大人が見るに堪える作品にしたいという想いを持った監督がいたわけです。私もその一人ですが。
だから、私のアニメーションのお客さんはオジサンばっかりです。『機動警察パトレイバー2』からそうなってしまいました。若い女性からは総スカンに近いです。
美形の男子や可愛らしい女子はほとんど出て来ないんです。出てくるのはほとんどオジサンとオバサンだけ(笑)。
『機動警察パトレイバー2』のとき、映画館の前で女子高生が泣いていたんです。「私の遊馬君(※篠原遊馬というキャラクター)が出て来ない」と。
そのかわり、スポーツ新聞は大喜びで、オジサンたちが喜んで観たんです。クーデターの話ですから。

作品が規格を統一させることも

押:
つくづく面白いな、と思うのは、映画って、見かけと中身は全然別ですよ、ということです。デジタル化の過程を通って、ハードディスクにコピーされて、データを公表する訳ですから、ある種の工業製品といっても良いと思います。にもかかわらず、中身の基準はあいまい、ここが他の製品と違うのです。
今はだいたい、5.1chとかドルビーとか、最低でもステレオとかですが、アトモスとか、音響にも様々な基準・規格がありますね。映画館という箱自体が規格品だからです。5.1chをやりたかったら、それができる映画館に行かないとその音は聞けない。
そうそう。「THX」っていう、ジョージ・ルーカスが始めた音響システムがあるんですが、『スターウォーズ』は、「THXを採用している映画館でなければかけられない」と言ったんです。その結果、全米の映画館がTHXになりました。このように、作品側が規格を強引に押し付けるという場合もあります。昔だったら、「総天然色」とか「70mmのシネラマ」などですね。3D映画も同じ。メガネをかけないと見えないですから。
J:
まさにデファクトスタンダード(事実上の標準)ですね。

規格があってこその映画/内的規格を決めるのは誰か

J:
「中身の基準は曖昧」というのは面白いですね。
押:
そうですよね。だからこそ、映画は面白いんです。規格がなかったら映画が面白くなるかというと、僕はならないと思いますね。
ここで、「立体映画」のお話をしたいと思います。「これからは立体だ、3Dだ」と言われて、今どれだけ世の中に普及しているでしょうか?
3Dはサッカーの中継やコンサートなどではすごい迫力なんですよ。でも、映画には全然向かないんです。さっきも言った通り、編集できないんです。
『GHOST IN THE SHELL/攻殻機動隊』も、3D・視界合成のようなものをやりましたが、ジェームズ・キャメロンの『アバター』という映画がありますね。これはさすがによく考えていて、知り合いのデジタル関係の合成をやっている方が、あるときメガネを外して観てみたと。そうすると、アクションシーンが立体じゃないと分かったそうなんです。アクションシーンはカットの回しが早いから、立体でやると頭が混乱するんですよ。だからアクションシーンになった瞬間に普通の2Dにしていたのです。
『ATOM』(鉄腕アトム)、これも3Dで観ましたが、頭が混乱しました。脳の処理が追い付きません。小さい時から見ていればすぐ慣れるのだとは思いますが、基本的に劇映画に立体は向きませんね。
ここから分かるとおり、映画の内実の規格を決めているのは、実はお客さんの「脳みそ」なんですよ。それを超えるものはオーバーフローしてしまって、製品として成立しない。作品の力という訳にもいかない。それも含めて、映画というのは器と中身がこんなに違うんですよね。
監督は、色々な建前と本音を使い分けて作品を作るのです。他のものではそうはいかないでしょうね。
J:
規格を決めていたのは鑑賞者の方だったと。
押:
そうですね。例えば、カップ麺だったら、漠然と形があるじゃないですか。四角で作ったら食べにくいし、売り場の人も困っちゃいますよね。結局、お客さんが食べやすいような形に自ずと落ち着くじゃないですか。
もちろん、車など、生命が関わってくるとそういう訳にはいきませんが。そこはJISの出番だと思うんです。量産するとか、安全性とか。絶対それじゃないとダメ、というのはあると思います。

映画を楽しむためにー規格との付き合い方

J:
「内的な規格」、ルールという意味では、最近ではポリティカル・コレクトネスなど、表現の世界でも様々な配慮が必要になってきていますね。
押:
アニメーションで言えば、アメリカで売りたい場合、そこには明文化されていないルールがあるんです。
例えば、悪役以外は煙草を吸ってはダメ。子供がテーブルについているシーンでは、酒もたばこも一切ダメ。そこに犬がいた時は、犬に最初にご飯をあげる、などです。
あと、犬と子供は絶対死にません。絶対ではないかもしれないけど、ほぼ死なない。絶体絶命になっても大体助かります。これらには、ルールブックがある訳ではなく、アメリカのアニメーション産業の「常識」なんです。我々も最初は知らなかったのですが。
私はゲームもよくやるのですが、ゲームはその辺の配慮が進んでいると思いますね。
ただ、あまり行き過ぎては面白みが無くなる、と感じる人もいるので、メーカー公認ではないですが、ユーザーの自己責任でカスタムをする「Mod」(ゲームのコンテンツを改造するプログラム)という文化もあります。
このように、すき間で様々な商品や価値が発生する、ということも含めて、掟破りにやるよりは、今あるゲームや映画の規格といかに上手いことやるか、その方が実は楽しめますよ、と言いたいですね。

いくらでもいい訳ができる「のりしろ」がある、ゆるい規格の中で僕らは仕事をしたいし、している。でもそのためには、やっぱりガチガチの物理的な規格は必要なんですよ。それが無いと共同作業が出来ませんし、製品として世に出せませんから。このことを肝に銘じないと仕事としてはダメですね。
規格があったうえで、自由があるんです。



押井守



映画監督・演出家。
1951年生まれ。東京都出身。東京学芸大学教育学部美術教育学科卒。
タツノコプロダクションに入社、テレビアニメ「一発貫太くん」で演出家デビュー。
その後、スタジオぴえろに移籍し、「うる星やつら」ほか、数々の作品に参加。後にフリーとなる。
日米英で同時公開された劇場版アニメ『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』(95)はジェームズ・キャメロン監督やウォシャウスキー兄弟ほか海外の著名監督に大きな影響を与えた。
また、『紅い眼鏡』以降は、『アヴァロン』など多数の実写映画作品にも意欲的に挑戦を続けている。
主な監督作品『機動警察パトレイバー』『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』『スカイ・クロラ The Sky Crawlers』など。