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ゾンビと規格の類似性―文化の国際標準化(前編)

2023/06/27

規格は、「時代を映す鑑」である。規格について語られる際によく出てくる言葉です。この言葉が示すとおり、規格はその時代の世相を映し、最新技術(The State of the art.)をパッケージしたものである一方、それが要請される背景には、その時代における人々の不安や様々な困難がきっかけとなっていることが多いのもまた事実です。
最近の例としては、コロナ禍における不安を背景に、マスクに関する規格が無かったことが改めて注目され、新たなJISが作られることとなりました。(JIS T 9001、JIS T 9002)

「ゾンビは人間や社会の姿を映し出す鏡のような存在である。」これは「ゾンビ先生」で知られる近畿大学准教授 岡本健氏の言葉です。
人々の持つ不安を具体化、形象化する対象として、果たしてゾンビ映画と規格に共通点はあるのか?

そこで、今回は国際標準化論もご担当される岡本准教授に、「ゾンビと規格の類似性―文化の国際標準化」と題し、ゾンビと規格にある共通点や文化の国際標準化などについてお話を伺いました。

ゾンビ映画と標準化の共通点

JSA(以下、J):
いつも先生のYouTubeを拝見しているのですが、ゾンビ映画の変遷と標準化には何か共通点があるように感じ、今回お話をセットさせていただきました。まず、ゾンビ映画の変遷について教えてください。
岡本氏(以下、岡):
有難うございます。ゾンビは、最初はハイチのヴードゥー教という非常にローカルで、西欧世界であまり知られていなかった、土着の文化に基づく現象でした。そのローカルな現象を発見したウィリアム・シーブルックという人がいて、彼が『The Magic Island(魔法の島:ハイチ)』という本を書きます。それがきっかけとなり、英語圏の社会にゾンビが紹介され、話題になって、映画に登場することに繋がっていきました。

1932年に『ホワイト・ゾンビ』という映画が撮られるのですが、この映画が撮られた・公開された時期はちょうどユニバーサルで様々なモンスター映画が登場した時期でもあります。例えば、ドラキュラ、フランケンシュタインの怪物、ミイラ男などです。
現代まで続いているこうしたモンスター映画が誕生した時期にゾンビも一緒に紹介され、映画になったのです。『ホワイト・ゾンビ』の後、様々に設定が変わるなどしながら普及していきましたので、言わばゾンビが「標準化」された格好です。この辺りに共通点があるように思います。
J:
ドラキュラやフランケンシュタインと異なり、ゾンビだけは現代でも生き残り続けている感じがしますが、ここにはゾンビだけが持つ特殊性が関係しているのでしょうか?もしかしてそれが標準化の力であるとか?
岡:
そうですね。ゾンビは「ジャンルを形成した」ということが大きいと思います。「ゾンビ映画」というジャンルですね。ジャンルができると何が良いかと言うと、「説明が少なくて済むようになる」のです。映画でもドラマでもアニメでも、どのような作品でも同じなのですが、ゼロからその世界を認識させるのは結構難しくて、キャラクターや世界観の説明が必要な訳です。まずはそれを限られた時間で把握してもらわなければならない。
ですが、例えば、押井守監督であれば『攻殻機動隊』あるいは『機動警察パトレイバー』だと分かれば、ご自身じゃない方が『攻殻機動隊』を撮る場合でも説明が楽ですよね。「他人の脳にハッキングできる」という世界観は既に皆の了解済みな訳ですから、ゼロから説明しなくても受け手には分かってもらえます。
特にシリーズ物はそうなるのですが、ゾンビの場合、実はシリーズものが非常に少ないのです。そのため、『バイオハザード』はとてもイレギュラーで非常に異端な存在なのです。
J:
『バイオハザード』は実写映画も6までありますし、ゲームも続いていますよね。
岡:
そうなんです『バイオハザード』は、シリーズものとして安定しているので、逆にゾンビ的な存在がシリーズの中で変化していったり、ゲーム性が結構変わっていったりするのに、ちゃんと『バイオ』シリーズになっている、というまた別の面白さもあります。ただ、それはレアケースで、ゾンビものはどちらかというと「単発もの」が多いのです。
単発ものが多いにもかかわらず、それらの作品群は、「ゾンビジャンル」の一部分を形成しているため、あたかもシリーズものであるかのような「説明不要な状況」を作り出している訳です。
監督達は「ゾンビジャンル」を学習した上で、「自分はこういう作品を出す」という感じで映画を作ることができます。もちろん、「ゾンビジャンル」に則りつつも、そこから外れるものを作る人もいて、そうすると、今度はジャンル自体が拡大をしていきます。

例えば、「ゾンビはゆっくり歩く」ことがいわば標準・規格だった時代がある訳ですが、今は「走るゾンビ」はすっかり社会で認められています。そうすると次に作るクリエイター達も「走らせよう」という話になる訳ですね。すると今度は走ることがデフォルト・新標準になっていくのです。
J:
なるほど。規格が見直されるサイクルに近いイメージがあります。
岡:
面白いことに、どういうゾンビに触れてきたかは世代によってかなり違うんですよ。
今の学生の年代だと、走る方がむしろ当たり前なのです。ゾンビは元々ノロかったということに驚くんですよね。
J:
それは知りませんでした。ゾンビはノロいイメージがありましたので…。
岡:
80年代ホラーの歴史を知っている方からすれば、ゾンビは遅いものだというのが普通であって、「最近の走るゾンビはむしろゾンビではないのではないか?」と言われたりするのですが、今の学生(18、19歳)からすると、物心ついた時は「走るゾンビ全盛期」の時代ですから。

ジャンル形成の効果

J:
ゾンビはなぜジャンルを形成できたのでしょうか?
岡:
そこは、ゾンビというモンスター映画の特殊性に関係があると考えています。
幾つかあるのですが、一つは映画を作る制作側の理屈で、「低予算に対応可能である」ことがあります。
例えば、剣と魔法のファンタジー映画を作ろうと思うと、撮影する世界、写るもの全てをそれっぽくしなければならないですよね。飛行機が飛んでいたらまずいですし、風景の中に電線が入っていてもダメです。

その世界を観る人に説得力を持って信じ込ませるために色々なものを作り込まなければならないんですね。
ところが、ゾンビの場合はゾンビさえそこに置いてしまえば現実にある普通の風景であっても取り敢えずゾンビの世界にすることができるのです。
これは制作側にとっては非常に便利な特質だと思います。
この特質をテーマパークのアトラクションに応用したのがユニバーサルスタジオジャパン(USJ)でした。USJはオープンした直後に結構トラブルに見舞われていたそうです。思っていたよりお客さんが入らなくて、かつ、オープンして間もなくアトラクションで事故が起こってしまったんですね。
通常、テーマパークというのはテコ入れとなると新しいアトラクションを作るのですが、オープンしたばかりで利益が出ておらず、それもできない。

そうなった時に森岡毅さんという当時運営されていた方が思いついたのがゾンビでした。ゾンビであれば、箱物などの物理的なアトラクションを作らなくても、アルバイトを雇ってそれをUSJの技術でメイクしてあげれば、もうそれだけでパークが全然違う顔を見せるはずであると。それで、「ハロウィーン・ホラー・ナイト」を実施し、USJのV字回復のきっかけを作ったと言われています。
J:
そうだったのですね。ジャンルが形成されるメリットについてはいかがでしょうか?
岡:
制作が低予算で済むと、新人や若手監督が撮らせてもらえるなど、企画が通りやすくなり、チャンスが広がります。つまりジャンルが形成されるということは、観る人達の数というか市場が把握できることになるので、ゾンビ映画だとさえ言えれば、その後のDVDリリースなども含め、売上の見当がつきやすくなるのです。安定が得られるということですね。
J:
ジャンル形成により創作のチャンスや多様性も生まれる可能性があると。
岡:
そうですね。映画に関して、制作・供給側の理屈としてはそうなのですが、これがゲームだとちょっと事情が変わります。ゲームの場合は「レーティング」の問題が出てきます。
人を銃で撃つとか、車で轢くみたいなゲームはやはりレーティングに引っ掛かりますし、社会的に容認されにくいですよね。今もたまに言われますが「ゲームのせいで人を殺すようになった」といった、いわゆる「ゲーム悪影響論」に晒されることもあり得ますので、業界内の自浄作用として年齢制限を設けているんですね。
制作・供給側にとってレーティングの何が困るかと言うと、消費者・市場が減ることです。
これは映画も同じではありますが、ゲームでZレーティングが付けられてしまうと18歳未満は非推奨になってしまうので、購買層が絞られてしまうのです。もちろん、そうして特定のターゲットをねらっていくのも一つの戦略ですが、市場が狭くなるのはリスクでもあります。

『龍が如く』というヤクザをテーマにゲームを作られたプロデューサーの方はとても苦労されたそうです。どうしても人間同士で殴り合ったり銃で撃ったりが出てくるので、レーティングの協会側と戦ったという話があって。「人間が赤い血を噴くのが困る」と言うならば、「ピカチュウが緑色の血を出すのは良いのか?」と。
実は、レーティング上は問題ないと言われたそうです(笑)。でもそんなことをしたら子供達が悲しみますよね。
この話の要点は、「人間ではない」ことが実はレーティングをクリアする上で大事な要素だということです。だからゾンビは使いやすいんです。見た目は人間っぽいですが、人ではない存在ですから。ゲームを作る人たちにとっても、レーティングをクリアする意味においても、先ほどの世界観を利用するという意味においても、とても使いやすいキャラクターなのです。

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岡本健

近畿大学 准教授。総合社会学部および情報学研究所に所属。
観光社会学、メディア・コンテンツ研究が専門。アニメ聖地巡礼、コンテンツツーリズム、ゾンビ、VTuber、ゲーム(アナログ/デジタル)などの現代文化を幅広く研究しており、「ゾンビ先生」としてVTuber活動も展開。著書に『大学で学ぶゾンビ学』、『巡礼ビジネス』、『アニメ聖地巡礼の観光社会学』、『コンテンツツーリズム研究[増補改訂版]』、『ゆるレポ』など。