
【SQ誌掲載記事特別公開!】オープン&クローズ戦略 ─真の理解と実践に向けて(2025年夏号)
2025/09/04
日本規格協会が発刊している季刊誌Webジャーナル『標準化と品質管理(SQ誌)』の2025年夏号に掲載いたしました「オープン&クローズ戦略 ─真の理解と実践に向けて」を特別公開いたします!
キーワード▶ オープン&クローズ戦略,経営戦略,競争戦略,市場競争力
keywords▶ Open & Close Strategy, Management Strategy, Competitive Strategy, Market Competitiveness
◆「オープン&クローズ戦略」の真の価値
近年,「オープン&クローズ戦略」を扱うメディアやイベントが増加している。国際標準化や製品認証に関連する専門メディアのみならず,一般新聞やビジネス誌でも取り上げられており,このテーマが幅広い層で関心を持たれていることが伺える。また,コンサルティングファーム等が主催するセミナーでも頻繁に取り上げられるようになり,企業にとっても重要性が高まっていると言える。これは,経営戦略上の重要なテーマとしてオープン&クローズ戦略を位置付け,積極的に活用・実践する姿勢を強めている企業が増えているためである。
一方,「オープン&クローズ戦略」という単語やハイレベルな概念だけがハイライトされるケースが多く,その活用や実践において必要な本質が正しく発信されていないように感じることも増えている。実際,筆者が目にしたメディア記事でも「これは,オープン&クローズ戦略ではない」と評価せざるを得ないそれが少なからず存在している。
特定の具体例を示すことはここでは避けるが,例えば,「自社が保有する技術や知的アセットを公開するものと秘匿するものに分別すること」といった文脈でその戦略を説明するものが少なからず存在している。保有アセット群を仕分けする行為自体は,市場における経済的アドバンテージに寄与するものではないにもかかわらず,このような発信がいまだに存在しているのは,オープン&クローズ戦略が重視されている理由や意義が十分に理解されていない証拠と言えるだろう。また,「規格要件の中に標準必須特許を埋め込むこと」をオープン&クローズ戦略として説明しているケースもある。戦略実行の手段・選択肢として当該用法が有効な場合はあるため,一概に否定するものではないが,しかし,このような捉え方は,他の方法論に目を向けることができなくなってしまう危険性があり,本質を捉えていないと言える。これは,「オープンとは標準化のことで,クローズは特許化のことである」として表面的な形式のみに注目が集まるような発信の影響であると考えられる。
オープン&クローズ戦略の真の価値は,イノベーションを促進し,市場競争力を高め,持続可能な成長を実現することにある。本質を見失ったまま戦略を策定・運用すると,本来得られるべき成果が失われ,真の効果を発揮することのない無意味な行為となりかねない。オープン&クローズ戦略の原理と目標を深く理解し,自社の具体的状況に合わせて巧みにカスタマイズすることで,その恩恵を最大限に享受できる。ゆえに,戦略の本質や意義を正しく把握し,適切に運用することが決定的に重要となる。
◆競争戦略としての「オープン&クローズ戦略」の真の価値
経済産業省は,毎年,産業標準化事業表彰式と併せたシンポジウムを実施している。令和5 年度のシンポジウムでは,一橋ビジネススクール特任教授の楠木健氏による特別講演(講演タイトル:「競争戦略の基盤論理」)が行われた。同氏は,公演の中で競争戦略の基本論理を「競合他社との違いをつくる」ことと述べた。
すなわち,ビジネスの競争戦略における基本論理は,深紅のグローブを着用して血を流し
ながら殴り合うことではなく,差異(Point ofDifference)を創造して競争を避けることにあると言える。
一方,他社との差異を創出し,製品やサービスに実装したとしても,その差異が市場価値や顧客価値として認められない限り,市場競争における優位性には結びつかない。すなわち,その優位性を獲得するために「差異を市場価値・顧客価値として結びつけること」と同時に「価値の対価として得ることのできる自社利益を最大化すること」が競争戦略を構想する上で重要となる。その際に有効になるのが「オープン&クローズ戦略」である。今日,オープン&クローズ戦略に注目が集まる理由は,企業がそのような外部環境を意図的に創出していく構想力や実行力を求めているためである。
さて,オープン&クローズ戦略の真の価値として「イノベーションの促進」があることを前述した。イノベーション(Innovation)とは,「新しい価値を創出し,それによって社会や市場,人々の行動に変化をもたらすこと」を指す。発明(Invention)が革新的であったとしても,社会や市場に受け入れられなければ,ビジネスにおいて重要な市場価値・顧客価値を持たないアセットとなってしまう。創出した新たなアイデアを人々の行動変容に結節させる材料とするためには,社会や市場がその価値を必要とする状態,すなわち,当該の価値を必要とする「ニーズを存在させる」必要がある。競争戦略としてのオープン&クローズ戦略を構想する上での選択肢として標準化が有用となる理由は,「ルールを創る」あるいは「ルールを変える」ことによって,意図を持って市場ニーズを創出できることにある。ルールには,市場に対して新しい制約を設ける効果や制約から解放する効果がある。例えば,環境保護に係る制約となる規制が強化されると,企業には環境に優しい製品を開発する必要性が生まれ,これにより,エコロジカルな製品や再生可能エネルギーに対する需要が高まり,新たな市場が形成される。また,例えば,自動運転車に関する制約事項が整備されると,既存の制約が緩和されることによって自動運転技術の開発が加速し,新たな市場ニーズが創出される。このように,制約は市場におけるニーズに影響を与え,企業にとっては,新しい成長機会の獲得につながるため,意図を持って関与することを戦略に加える意義となる。
なお,紙幅の制限上,本稿においては具体内容の説明を省くが,戦略立案のプロセスにおいては,製品や技術ありきで市場ニーズやルールを構想するのではなく,自社の社会的使命やビジョンから目指したい社会や顧客像,それを実現するために何を変える必要があるのかを定めた上で,求められるソリューション(技術や製品・サービスに限定せず,プロセスや慣習なども含めたソリューション)を見いだすことを意識することが重要となることを付言しておきたい。
◆自社の強みが活かせる外部環境を創造するには?
中長期のビジネス戦略を策定する際には,3C¹⁾分析やPEST²⁾分析を行った上で,SWOT³⁾などのフレームワークを用いた仮説導出が行われることが多いだろう。一方,これら分析の結果や設定した仮説を基礎情報としてオープン&クローズ戦略を構想すると共に,上位のビジネス戦略のサブセットとして相関させるための方法論やフレームワークは,広く認知されているものではない。「民間企業であっても市場のルールを変えることができること」や「ルールのアップデートによって外部環境を変え,市場のニーズを創ることができること」を戦略オプションとして用いることに目を向けない戦略プランナーは,ビジネスにおける外部環境や制約を「変えることができないもの」として捉え,現在環境を前提に市場ニーズ探索することが多いのではないだろうか。そこで,上位のビジネス戦略におけるオープン&クローズ戦略の位置付けについて概念的に述べてみたいと思う。
オープン&クローズ戦略は,上位の経営戦略やビジネス戦略上の目標を達成するためのサブセット戦略であるのだから,当然ながら,上位戦略との整合が必要となる。そのため,上位戦略策定の際に用いるPEST やSWOT 等の分析結果はオープン&クローズ戦略策定の際の基礎資源となる。SWOT 分析で言えば,以下のような関係性を持たせてオープン&クローズ戦略の策定に反映させ,上位戦略と統合させていくことが必要となる。(裏を返せば,オープン&クローズ戦略の作成の際には,自社事業における解決すべき課題,内部環境や外部環境の把握や分析が極めて重要な基礎となる。
▪外部環境にあたるO(Opportunities)やT(Threats)に含まれている市場のルール(規制,国際標準や業界慣習など)が自社の内部アセットとなるS(Strengths)と市場ニーズを結びつける上での制約事項となるか否かの分析
▪自社のS によって具現化することができる価値が際立つ市場ルールの構想や仮説創出
▪自社のS によって具現化することができる価値を容易に模倣できない障壁や制約事項となる市場ルールの構想
▪外部環境(O やT)に含まれる制約事項を変えることができた場合に,自社のS が市場競争を更に優位にする価値となるか否かの分析と自社のW(Weaknesses)が市場競争の決定的な障害とならないような仕組みとなるか否かの考察
ここまで「ルールは変えることができる」と述べてきた。しかし,誰でも簡単に変えることができる市場ルールは存在しないだろう。また,多くの経営学の文献や実務的な議論の中で述べられているように,理論的なフレームワークの活用による計画構築よりも,現実世界でそれを実行し,所期の成果を出すことの方がはるかに困難であるのは明らかである。国際標準化などのルール形成においても,組織的な抵抗や反対,予期せぬ市場の変化やその他の不確定要因によって,計画を変更しなければならない事態が頻繁に発生する。とりわけ,ルール形成はステークホルダーとの合意形成が不可欠であるため,その形成プロセスに関与するための参加資格の獲得,意思決定に関わる複数の参加者との信頼関係の構築,意思決定時に多数派となるための交渉や説得,作業内容の理解と実行といった能力が求められる。すなわち,ルールを構想・形成する能力がなければ,オープン&クローズ戦略は実現不可能なものとなってしまう。企業においては,戦略を策定する組織能力と戦略を実践に移す組織能力を有しているか否かが,市場競争の差を生む重要な要因となるのである。
◆オープン&クローズ戦略を実践できる組織能力
戦略立案において,自社の内部環境(S とW)を評価・分析する際に多用されるVRIO は,価値 (Value), 希少性 (Rarity), 模倣困難性(Imitability),及び組織 (Organization)の四つの要素を柱とするフレームワークである。この中に「組織」が含まれていることからも明らかなように,組織能力は自社の強みや弱みを形成する極めて重要な要素である。
本稿の文脈では,「市場のルールを設定し,市場の発展方向を主導する立場や能力」,さらには「経営課題や事業戦略とルール形成を結びつける構想力及び組織内の多様な意見や利害を調整し,一体となって目標を達成するためのリーダーシップ」が,オープン&クローズ戦略を実践する上で必要不可欠な組織能力としてのビルディングブロックに位置付けられる。
オープン&クローズ戦略を実践できる組織能力の獲得及び強化のためには,個別の試みや努力に依存するのではなく,組織全体を巻き込んだ取り組みとして,上位経営戦略の一環として進めることが不可欠であることを強調したい。
なお,経済産業省は,市場形成力を「ステークホルダーと協力し,ルール(規制,規範,規格,その他基準・認証等)を形成するだけでなく,それらを活用して,特定の社会課題の解決に資する財・サービスが取引される市場を創造し,拡大することを可能とする潜在能力」と定義している。また,この能力を評価するための指標も公開している。この指標では,市場形成力は「戦略」と「組織能力」という二つの主要な要素で構成されており,組織能力の中に「ルール形成力」が含まれている。この定義や指標から導き出せるのは,市場形成を成功させるためには「戦略」と「組織能力」の両輪が不可欠であるという点である。これら二つの要素が互いに連携し,相互に作用する状態を整えることで,ルールを基盤とした市場の創出や発展がはじめて実現される。
◆標準化と特許化だけに依存しない戦略形成
国際標準化などのルール形成は,その性質上,長期間を要する取り組みである。新たなルールが市場競争に影響を与える力を持った場合,企業は大きな経済的リターンを得る可能性がある。しかし,全てのルールがそのような効力を持つわけではなく,実際には市場競争に影響を及ぼさない国際規格やガイドライン等のルールも数多く存在する。そのため,長い時間を費やして取り組んだとしても,自社の利益に結びつかない結果に終わる可能性も否定できない。
オープン&クローズ戦略を策定する際には,このような時間を要するルール形成アプローチだけに依存せず,他の複数のアプローチを組み合わせることで,目標到達の成功率を高めることが戦略上極めて重要である。
オープン&クローズ戦略の核心は,オープン・アプローチとクローズ・アプローチを活用し,「自社が稼ぐための仕組みを構築する手段」と捉えることができる。
「稼ぐ仕組み」を創るための有効な方法は,標準化や特許化に限らない。市場や顧客のニーズを生み出し,価値を提供する仕組みを設計・実行することは,オープン&クローズ戦略の有無にかかわらず,企業のマーケティング活動における最も重要な目的の一つである。この点から考えると,オープン&クローズ戦略は,マーケティングにおける手段の一つとして位置付けることができる。例えば,マーケティング活動の一環として行われるPR(パブリック・リレーションズ)は,パブリケーションを通じて市場や顧客に認知変容をもたらし,その後さらに購買行動を含む行動変容へと結びつけることを目的としている。このアプローチは,オープン&クローズ戦略におけるオープン領域の目的と一致している。
「オープン=標準化,クローズ=特許化」といった単純な図式にとらわれるのではなく,オープン&クローズ戦略の本質を深く理解することが重要である。この理解を基に,標準化や特許化に限らず,多様な手段を柔軟に取り入れる発想を生み出すことができる。その柔軟な発想こそが,戦略を一層洗練させ,より高い成果をもたらす原動力となる。
◆未来の新しい当たり前を構築するための鍵となるオープン&クローズ戦略
筆者が標準化に関与し始めた10 年以上前にも,「オープン&クローズ戦略」は標準化分野で広く知られるキーワードだった。例えば,PC のマザーボードに搭載されるCPU やチップセットなどの半導体製品に関する事例は,その象徴的な存在として注目されていた。しかし,現在ほどこの概念に関心が集まった時代はかつてなかったように思う。その背景には,我が国の産業競争力の相対的な低下,そして「稼ぐ力」を失いつつある現状があると考えられる。
高度経済成長期には,多くの製品やサービスが「不足」を補い,基本的な性能や機能価値を提供するだけで十分に需要を満たしていた。しかし,経済成長の成熟期を迎えた現代においては,単なる機能価値の提供では市場競争で優位性を確立することが難しくなり,むしろ市場参加者の共感を得る非機能的な価値が競争力の鍵を握るようになっている。
オープン&クローズ戦略は,こうした時代の要請に応えるために,「より良き未来」を市場参加者に示し,その未来を実現する仕組みを構築することで共感を集めると共に,実現された未来に組み込まれた自社の競争を優位にする「新しい当たり前」によって経済的リターンを最大化するための手段である。この「新しい当たり前」を創る上で,ルール作りは非常に有効な方法だが,あくまで手段であり,目的そのものにならないよう留意しなければならない。さらに,戦略形成においては,国際標準化などのルール形成の観点だけでなく,経営,事業,マーケティングなどの多様な視点を統合することが重要である。
本稿では,経営や事業の責任者がルール形成への理解を深めると共に,標準化エキスパートやルールメーカーもまた,経営や事業の視点を持つべきであると提言した。それこそが,オープン&クローズ戦略をより効果的に実践するための鍵となる。
参考文献
- 1)事業環境を「顧客(Customer)」「競合(Competitor)」「自社(Company)」の三つの視点から分析する方法
- 2)マクロ環境を「政治(Political)」「経済(Economic)」「社会(Social)」「技術(Technological)」の四つの視点から分析する方法
- 3)3C分析とPEST分析から得られた情報をもとに、自社の「強み(Strengths)」「弱み(Weaknesses)」「機会(Opportunities)」「脅威(Threats)」を整理して、戦略を立てるための方法
小出 啓介
川崎重工業株式会社 水素戦略本部,特別主席(事業戦略担当)。AV&IT 分野,自 動車分野,情報通信分野など多様な分野の標準化に関与した実績を持つ。IEC/TC 100/TA 17 の国際議長,IEC/TC 100/TA 18 の国際幹事及び国内委員長などの要職を 持つ。2023 年 IEC 1906 Award 及び経済産業省 産業技術環境局長賞を受賞した。
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