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「標準化される社会と個別化する社会」―アーティスト 寺本愛氏に聞く

2023/06/02

昨今、社会は「個別化」に向かっているという言説を良く耳にします。これまでは、「標準化(産業化)社会」であったことは言うまでもありませんが、「個別化する社会」における標準の在り方とはどのようなもので、何を考えるべきなのでしょうか?また、果たして社会はそのような方向に動くのでしょうか?

そこで、今回は社会と人間の関りに鋭い着眼点を持って、制作を行うアーティストである寺本愛氏に、「標準化される社会と個別化する社会」と題してそのヒントを伺いました。

差を描く

JSA(以下、J):
最初に寺本さんの作品を拝見したとき、キャラクターが着ているファッションに目が行きました。ちょっと懐かしい感じもしまして。
寺本氏(以下、寺):
10年ほど前から創作の活動を始めたのですが、当初はあまり懐かしさを出そうとはせずに、様々な時代の服をサンプリングしてそこからデザインを考え、ちょっと時代が分からなくなるような、懐かしい感じはするけど、未来的にも感じるようなタイムレスな装いを描いていました。
それが、だんだんある特定の地域に絞って、そこにある文化や服飾からストーリーを想像し絵にする流れを取るようになり、そこからは自然と昭和初期、中期の質素な服装に個人的な趣向が重なったこともあり、懐かしいと感じられるような装いをここ4年ぐらい描いていています。その時代は写真資料も豊富だということもありますね。
J:
1960年代あたりですと、時代も一周した今となっては、新しくも見えますよね。昔に描かれた未来というのは。
寺:
そうですね。昔は今ほどデザインが豊富ではありませんが、近しいデザインでも、ちょっとした着こなし方や年齢によって個性が表れるので、そういう「差」を描くのが好きですね。例えば男性の開襟シャツとか。
写真がモノクロであるせいもありますが、真っ白で、みんなだいたいズボンにインして、という装いに面白さを感じます。
  • 《Mayumi & Rhapis humilis [棕櫚竹]》
    pencil, colored pencil, Chinese ink, paper, panel
    910×606(mm)
    2021

  • 《断片たち-合いの手》
    pencil, maker pen, acrylic, paper, panel
    273×220(mm)
    2018



J:
アービトラージ※1的なものでしょうか。今はそれこそユニクロじゃないですが、昔と比べたら同じ服装をすることはもっと簡単ですよね。ただ、違いがあるとすれば、当時は服を自分で作っているケースが多かったと思います。私の母親の世代でも、若いときはワンピースを作るとか子供の服を作るとか、良くあったと聞きます。それが、個性が出ていた理由の一つなのかもしれないですね。
寺:
たしかにそうですね。
J:
ちなみに、「特定の地域」とはどこを指すのでしょうか?
寺:
これまでテーマにしたのは、四国のお遍路、諏訪湖周辺、沖縄です。あとは長崎の潜伏キリシタンなどですね。特に「絵を描くぞ」と思わずに普通に旅行で行って、戻ってきてから「あの場所は良かったな」と思い出して、その場所について調べ、そこから創作が始まるという感じです。
J:
潜伏キリシタンはあまりファッションとのつながりが無いように感じますが。
寺:
潜伏キリシタンに関しては、日本の土着の文化に海外の文化がガチャっとぶつかって、それが土地に馴染んでいく様子に興味が湧きました。例えば「切支丹」という言葉も外国語をなんとか日本語に落ち着かせるみたいな。
ラテン語を無理やり日本語に充てていくようなところに面白さを感じて。
J:
文化受容(Inculturation)の仕方や過程に興味を惹かれたということですね。
寺:
はい。例えば白磁製の観音像をマリア像として拝んだりとか、潜伏していた約250年間で日本の仏教文化や神道と混ざって本来のキリスト教から信仰の形が変化していった部分に惹かれました。

《Inculturation #2》
pencil, Chinese ink, paper, panel
270×220(mm)
2021

カスタム化が進む社会

J:
ローカライゼーションですね。日本人は物事を取り込み、独自のものに昇華するのが上手いとよく言われます。
寺:
自分たちのものにするというのは、現在でも様々なところに表れていると感じます。
J:
マクドナルドは標準化の最たる一例ですが、日本であればご飯のメニューを出したりなど、国によって違いを出したりします。
コーラの味も国によって違いますし、細かくローカライズされていますよね。大きな標準があるけれど世界に広げるためには現地に適したローカライズが必要となりますよね。
寺本さんの作品では、「標準化とローカライズの組み合わせ」が描かれているようにも感じました。
寺:
ありがとうございます。Netflixも国によってサムネイルが違うなど、ローカライズされていると聞きます。
J:
ビジネス戦略として正しいですよね。最近、文房具販売の会社が、紙のチラシの内容を、配布先企業の購入履歴によって変えていると聞きました。
そのような形で、世の中、より個別にカスタマイズしたものを届ける世界になりつつあります。そうすると誰でも使える標準も変化しなければならないのではないか、と感じています。
寺:
標準化が無くなるわけではなさそうですが、カスタマイズ要求が強くなってくるのは感じますね。感覚的にですが。
J:
はい。例えば、規格は本の形式になっているのですが、人によってはある一部分しか必要の無い人もいます。そのため、その部分だけを販売する、といったことも将来的にあり得ると考えています。
寺:
なるほど。ところで規格協会はモノに関する規格を扱うのでしょうか?
J:
標準化の対象は基本的にはモノでそれは今も変わっていませんが、時代とともに変化してきていて、最近では「目に見えないモノ」が対象として扱われることが多いですね。
例えばソフトウェアだったり、マネジメントシステム(ISO 9001など)です。

ジェントリフィケーションされる街

寺:
街に関する規格などはあるのでしょうか?
J:
ありますね。スマートシティなどは標準化のホットトピックです。
寺:
私はオフィスワークもしているのですが、勤務先がスマートシティとしてつくられた街にありまして、以前は本当に誰もいない・何もない所だったと聞いています。今は駅前に大きな商業施設もあって、家族連れの方も多く移住し、賑わっている様子を見ると、街をゼロの状態から計画し、まず入れ物を作ってそこに人が住んで生活が出来つつある…という一連のプロセスが、ちょっと不思議に感じるんです。人が集まって街が出来る、と逆というか。
スマートシティはデザインされた部分が強いですが、それを人の生活が超えてくるといいますか、「人間くささ」みたいな部分がいずれ出てくるのかなと思っています。
J:
ジェントリフィケーション※2ですね。吉祥寺などはよく例に出されますが、きれいな街になるのは良い部分もある一方、失われるものもありますよね。それはちょっと残念でもあります。
寺:
そうですね。私は出身が世田谷区の千歳船橋で、昔は経堂や成城学園前と比べて雑然とした街だったんですよ。ところがこの前帰ったらスターバックスが出きていてそれがショックで(笑)。
J:
一昔前のアメリカもそうだと思うのですが、スターバックスがあまりにも広がったので、そのカウンターとしてサードウエーブが流行りましたよね。今はまた違う流れになっているかもしれませんが。
その当時は「スターバックド」という呼び方もされていたことがあるようです。スターバックスを「スタンダード」と捉えたとき、それはもう古いという意味を込めていたのだと思います。
寺:
確かに、以前よりも個人でやっているようなこだわりのコーヒー店をよく見かけるようになりました。ハンドドリップで淹れるような。グローバルスタンダードたるスターバックスは無くならないと思いますが、個人の領域(お店)も増え始めている気がしますよね。
J:
おっしゃるとおりですね。一方で「スタンダード」も時代に合わせて常に変化していきます。
寺本さんは「均一化していく社会の中で、今なお続く特有の地域・服飾文化を生きる人々」を描かれている訳ですが、具体的にはどこに「人間らしさ」を感じるのでしょうか?
寺:
私がよく説明に使う人物像がありまして、それは、「下町の、道幅の狭い住宅街に住んでいる、肌着一枚で外に出てくるようなおじさん」というものです。その肌着も何回も着ているから、ちょっと黄ばんだり、繊維が伸びてしまっていてユルっとなっている…その様にグっと来るんですよ。
J:
ヴィンテージ感ということでしょうか?生活感ですかね?
寺:
生活感ですし、元は綺麗であっただろうタンクトップの肌着が、完全におじさんのモノになったというところです。
ファッションというと、シャキッとして、カッコいい様を多くの方は求めると思うのですが、私はそこからその人の生活やこれまでその服を着た時間を想像するのが好きなのかもしれないです。
綺麗なところにずっといると調子が悪くなるというのもあります(笑)。
寺:
スマートシティで言えばあと50年後ぐらいの状況は気になります。今はよそよそしい所もあるかもしれませんが、何世代かが住み続けると、先ほどのシャツと同じで、人と場所が馴染んでくるのではないかと思います。
このように、用意された場所・デザインを、人の生活が越えていくところに興味があります。
J:
ある意味標準もデザインに近い機能があります。両者の共通点は「問題解決のツール」というところです。潜在的な問題や顕在化した問題を標準やデザインは解決するのですが、ただ解決した後、ずっとそのままではいけないんですよね。馴染んでいく、ということも大切ですし、先ほどの繰り返しではありますが、変わり続けることも必要です。
寺:
そうですね。ところで、標準化という言葉は、統一とか、強制・規制的なイメージもあり、無機質な感じもします。
J:
これまでの社会は標準化(工場)を前提とした学校教育や勤務形態など、ある意味人間にも標準化を求めていたと言えるかもしれないですね。
寺:
これからはもうちょっと人間主体というか、柔らかさは必要なのかなとは思います。
J:
なるほど。おっしゃるとおりヒューマンセントリックな考え方は標準化側にも必要だと思います。
「均一化していく社会でもなおそこに染み出る人間味」についてもう少し伺いたいのですが、街の場合、それは時間が解決するかもしれませんが、ファッションの場合はどうお考えでしょうか?
寺:
例えば、学校の制服は標準と言えると思います。私もそうですが、標準から逸脱したいからカスタマイズしていましたよね。ベースには標準があるけれど、カスタマイズして、そのカスタマイズすることがまたスタンダードになる…といった連鎖はあるかもしれません。
さきほどのおじさんの例で言う「着続ける」というカスタマイズもありますね。

作品における余白

J:
「作品の鑑賞のされ方」について伺いたいのですが、ご自身の意図したとおりの感想を言われるのがやはり良いのでしょうか?作品に込めた意図とは全く異なる見方をする人もいると思いますが、そのような、本来の意図から外れた見方・感想でもそれを喜べるものなのでしょうか?
寺:
昔は自分の思った通りに受け取って欲しいという気持ちが強かったのですが、だんだんそうではない面白さに気づいて、今は何だっていいというか、その人が普段考えているところからの見方というのが面白いので、その人の感想が聞ければもうそれで十分という気持ちがあります。そこから考えさせられることもありますし。
今回のインタビューもそうですが、標準化と自分の作品がこのように繋がるのかと分かったのがとても面白かったです。
J:
そうなのですね。意図したところを理解されるのが一番良い事なのではないかと思っていました。
寺:
それはもう一番ではないですね。こちらも自分の世界観を作り込んで作品にするけれど、人に見せた瞬間に手放すという感覚があって。作り込むけど、見え方としては余白があるように見える作品を作りたいなと思っています。
J:
解釈の余地を作っていると。それはアーティストによって違うのでしょうか?
私も文章を書くのですが、内容が正確に伝わる事は、本当はあまりないのではないかと思っています。でも、誤解ないし誤読がきっかけで新しい展開に繋がる事はあります。
寺:
それはあるかもしれません。個展ごとに作品をまとめて作るのですが、ひとつめに作った作品はとても気合が入っているのですが、力みすぎているのか、見せると意外と受けなかったりします。
ちょっとリラックスしてきた最後の方に描いた作品の方が絵としても柔らかさがあり、反応も良かったりするというのはありますね。
J:
余地を残す、という部分は標準化の今後としても考えるべきことだと感じました。もちろん規格はルールでもあるので、あまり余地を作ってよいものでもありませんが…。
寺:
絵を見てくださった方から「これはどういう意味なんですか?」と時々聞かれることがあるのですが、「あまり聞かない方がいいですよ」という気持ちもあって。それは結局答えになってしまうというか。「どういうことなんだろう?」と考えてもらったり、感じたことが、その人にとって一番良いことなのだと思っています。
J:
昨今、意味を先に求めるといいますか、インスタントに、より早く物事を理解したい・結論を知りたいという風潮がありますね。
寺:
考えのヒントになるようなことは少しお伝えすることもあるのですが、「本当はこういう意味で書いたんです」というのは言わないようにしています。

製作における制約の作用

J:
作品を製作されるときは、何か制約があった方がやりやすいなどはあるのでしょうか?
寺:
私の場合、「モノクロ」を自分にかける制約・基準にしています。まずモノクロで、画材も前はマンガを描くときに使うインクやペンを用いていたのですが、今は鉛筆と墨汁だけです。様々な画材を使わないというのは一つの制約ですね。
J:
ご自身でルールを課しているのですね。
寺:
ここに至る過程でいろいろと変遷はあったのですが、鉛筆と墨汁で制作することがスタンダードとして自分の中で落ち着きました。でもここ数年は少し色に興味が出てきています。
また最近は油絵など、いままで経験のない技法も試したりしているところです。
これは、鉛筆と墨汁というスタンダードがあるからこそ違うこともできるのだと思っています。仮に色に挑戦して上手くいかなかったとしても、「またスタンダードに戻ればいい」というのもありますね。
J:
寺本さんにとってのスタンダードとは、「帰れる場所」でもあるのですね。規格も同じかもしれません。

《coastline #7》
pencil, acrylic, Chinese ink, colored pencil, maker pen, paper, panel
530×455(mm)
2021

※1 アービトラージ:もともとは金融用語で、価格差を利用した裁定取引のことであるが、国や地域ごとの差異を理解して活用するビジネス戦略の用語としても使われる。
※2 ジェントリフィケーション:都市の高級化を指す言葉。



寺本愛

アーティスト。1990年東京都生まれ。武蔵野美術大学空間演出デザイン学科卒業。
これまで自身が訪れた土地の風景や生活文化に、自身の記憶や体験、フィクションを重ね合わせた作品を制作。制作を通して「人間の生」を見つめる。平面作品を中心としながら、近年は日記を元にした作品も手掛けている。