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マイ・スタンダード(歌謡曲とは何なのか?) アーティスト/文筆家 近田春夫

2023/07/25

★アンコール掲載(初掲:2020/06/03)★

歌謡曲とは何なのか? そう問われ、とりあえずひとつ答えられるのは、それがまずなにより"歌"である、ということだ。
 たしかに歌謡曲も"音楽"に違いないだろうが、その前に"歌“なのだと、私はそう強く考えるものである。
 万葉集などの古典を思い浮かべるまでもなく、そもそも"歌"は、別に音楽がなくとも成立する表現様式だ。一般に"歌謡曲"は音楽として捉えられがちだが、私は"コトバ"に属するものなのだという大前提で、話を進めていきたいと思う。
 といいつつ、のっけから話の腰を折ってしまって申し訳ないが、私が最初に歌謡曲の何に惹かれたかと申せば、実は"音"だった。
 1954年というから、満で3歳のその年、世を挙げてといって決して過言ではない国民的大ヒットとなったのが、春日八郎の『お富さん』である。さすがに当時の社会の様子などは記憶にないのだが、きっと街中に音が溢れていたのだろう。母親の話では、とにかくこの歌をえらく気に入ってしまったらしく、フルコーラスを完璧に覚えては、それこそ朝から晩まで大声で歌いまくっていたそうだ。いくらなんでも近所の手前恥ずかしかったわよと、ことあるごとにいわれたものである。  いずれにせよ、まだ幼稚園にもあがる前のことだ。歌詞の意味など分かろう筈もない。
なにせ、

「♬粋な黒塀見越しの松に/仇な姿の洗い髪」1)

歌い出しからしてこれなのである。
どう考えたって子供にゃ無理っしょ(笑)!
 推測されるのは、聴感的な官能性(心地良さ)が幼児の耳をくすぐったことである。メロディーラインに惹かれたのは勿論だろうが、それに加え、日本語歌詞の持つ響きの魅力というのもあった筈だ。そして響きということでは、一方"ノド"も、重要なパラメータである。春日八郎の、銀のあるというのか、明るく艶やかな歌いっぷりや節回しは、クラシックのベルカント唱法や、ジャズ、ポップスなどの発声法ともたしかにベクトルが異なる。その和風な"玄人っぽい色気"に、子供心にも何か"興奮"を覚えたのではなかろうか。
 ただなんにせよ、たしかなのは、その時私の内部では『お富さん』において歌声は、器楽的な意味でのみ捉えられていたことである。歌詞内容は、曲の魅力とは全く関係なかった。
 それはさておき、ここで見逃せぬのが、何故、母親は、私が『お富さん』を歌うのを、近所の手前"恥ずかしい"と思ったのか? それはやはり"歌詞"に原因がありそうだ。今更説明する必要もないだろうが、要するに、これは『きられの与三郎』というヤクザ者が主役の歌なのである。

「♪死んだはずだよ お富さん」1)

 などと、所構わず子供に歌われた日にゃあ、そりゃご近所の手前、母親もさぞかし、頭が痛かったことだろうこと、想像に難くない。
 もうひとつの子供時代の思い出が、小学校の遠足のバスのなかのマイクの回し合いだ。クラスメイトが無難に童謡などを披露するなか、俺の選んだのは、水原弘の『恋のカクテル』だった。第一回「レコード大賞」に輝いた『黒い花びら』のカップリング曲である。

 「♪泣いてる娘に グラスをすすめ/今夜は飲みなと 振るシェーカーは」2)

 これが受けた。いや、大受けに受けた。俺は有頂天である。しかし、幸せはそう長くは続かない(涙)。バスが学校に戻ると、さっきまでみんなと一緒に大受けしていた担任の表情が、一転して険しくなっている……?
 結論から申せば、選曲の問題で俺はこっぴどく叱られたのだが、要はその理由である。
 子供が歌うべき内容の歌詞ではない! 
 前述の『お富さん』そして『恋のカクテル』と、二者に共通するのは結局そこであろう。
 冒頭、歌謡曲はコトバだといったけれど、その、紡ぎ出される世界からは、どこか"性愛的な意味での生臭さ"や、陰翳を"通奏低音"として嗅ぎ取ることが出来るというのが持論である。そして、それはとりもなおさず、歌謡曲とjpop(A.K.A.ニューミュージック)やフォークとの違いを明確にしてみせる論でもあるに違いないと、自負するところだ。

 ところで、こう書いていくと、歌謡曲に於いては"音"には全く価値がないのか? と捉えられてしまう危険性もあるので、最後に付け加えておくが、決してそんなことはない。それは我が"お富さん"のエピソードが証明するだろう。或いは『恋のカクテル』しかり。
 すなわち、優れた歌謡曲とは、音にもーー述べてきた意味においてーー歌詞がそうであるのと同じく、ヒトの心のなかの"秘めたる部分"をくすぐる力を、必ず持つものである。ただ、それはあくまで、先ずは歌詞あっての話なのだ、ということである。
 では、そういった文脈で語るとき、果たして現在、これがまさに歌謡曲であるとすすめられる新作が見当たるかどうか。そこは私にはなんともいえないのだが……。

1) 『お富さん』1954年 作詞:山崎 正、作曲:渡久地 政信 
2) 『恋のカクテル』1960年 作詞:永 六輔、作曲:中村 八大 



近田春夫 アーティスト/文筆家

慶應義塾大学在学中から、内田裕也のバックバンドでキーボード奏者として活躍。1972年に「近田春夫&ハルヲフォン」を結成。音楽活動と並行して、1978年から1984年にかけて、雑誌「POPEYE」に伝説的なコラム「THE 歌謡曲」を連載。1978年には早すぎた歌謡曲カバーアルバム『電撃的東京』をリリース。1979年には、アレンジ・演奏に結成直後のイエロー・マジック・オーケストラを起用したソロ・アルバム『天然の美』をリリース。『エレクトリック・ラブ・ストーリー』、『ああ、レディハリケーン』では漫画家の楳図かずおを作詞家として起用。1981年には「近田春夫&ビブラトーンズ」を結成、アルバム1枚とミニアルバム1枚をリリース。1985年からはファンクやラップに注目、President BPM名義で活動。自身のレーベルBPMを率いて、タイニー・パンクスらと日本語ラップのパイオニアとも言える活動を行う。1987年には「バンド形式によるヒップホップ」というコンセプトでビブラストーンを結成。現在は元ハルヲフォンのメンバー3人による新バンド「活躍中」や、OMBとのユニットである「LUNASUN」でも活動。そして、2018年10月31日にソロ名義としては38年ぶりとなるアルバム「超冗談だから」をリリース。文筆家としても、20年以上に渡り連載中の週刊文春名物コラム「考えるヒット」だけでなく、2019年1月からはミュージックマガジン誌で「近田春夫の 帯に短し襷に長し」を連載開始。2019年2月27日には最新ベストアルバム「近田春夫ベスト~世界で一番いけない男」をリリース。