スパイスカレーと標準化 印度カリー子
2023/07/24
★アンコール掲載(初掲:2020/03/16)★
私の目標はスパイスからカレーを作ることが簡単であることを伝えること、スパイスカレーが普遍化して、日本の家庭料理になることである。そのために初心者のためのスパイスカレーのレシピ本を年間6冊のペースで書いている。初心者のためのレシピ本を書くためにあたって、レシピを標準化することがとても重要になってくる。
標準化とは一般的に、経済や工業の社会的な場面で使われることが多いワードだ。複数の選択肢が並ぶ中で、かかわる人々のそれぞれの利益を考慮しつつより良い選択をして、複雑な問題を単純化する。標準化することで、いろんな可能性からベストだと思うものを選択でき、より良い結果を導くことができる。
これはレシピを書く時にも使うことができる手法である。例えば、パンを作るときに、小麦粉、バター、塩、水などを使うがこれらの分量をベストだと思う量で決めてレシピにすることも標準化することの一つだ。柔らかいパンを作りたかったら水を多めにしたり、もっちりしたパンを作りたかったらグルテン含有量が多い小麦粉を選んだり…。料理人は一つ一つの材料の最も適切な量を知っているため、それらの各材料を適切に標準化し、組み合わせてレシピを書くことができる。
パンだけではなくて、料理人がレシピ化するということは、色んな味や調合比がある中でベストだと思うそれぞれの割合を定めること=標準化するということなのである。
レシピを作り、料理手法を標準化する利点は大きく分けて2点あると考えられる。
①再現性の向上…様々な環境でも作ることができるということ。家庭料理の本ならだれでもどんなキッチンでも作れるようなレシピでないと良いレシピとは言えない。伝統料理や多国籍料理などで特殊な器具が必要な場合は、それを明記して初めてレシピになる場合もある。
②単純化…詳細を見なくても作れるというか覚えていられる・忘れないでいられること。これによって人と人の間、世代間での伝達力がアップする。家庭料理向けに書かれたレシピであれば覚えやすいレシピになって口頭でも伝えることができるようになる。職人のレシピであれば重要な点をまとめて忘れないように後世に残すために書かれる。
私の目標は「スパイスカレーを日本の家庭料理にする」ことなので、私が書かなければならない標準化されたスパイスカレーのレシピというのは、①どんなキッチンでも作れて、②覚えやすいスパイスカレーのレシピ、ということになる。
さらに言えば私は、①再現性よりも②単純化を重視している。それは後世に残る家庭料理というのは、母から子へ代々伝えられていくものであり、見て学んだり、口頭で聞いたりして実践的に学ぶ。すなわち覚えやすさが特徴である。具体的に言えば、記憶できる量のスパイスの種類にしたり、比率にしたりする。
数年前まで、スパイスカレーの本は難解なものが多かった。初心者のためのスパイスカレーの本は少なく、マニアの趣味のようにこった調合比が記載されていた本が多かった。はたまた、スパイス初心者のために丁寧に説明されているレシピ本もあったが、あまりに丁寧すぎて、何が最も重要な工程で、何がプラスアルファの工程なのかを一目で判別できない本も多かった。初心者のための本に見せかけて、職人的な再現性が重視されたレシピになってしまっていたように思える。
私がスパイスカレーに出会ったのは4年前のことで、その頃はスパイスカレーを周りに作ったことがある人はほとんどいなかった。しかし私は作りはじめて間もなくスパイスカレーの構造の簡単さに気づいた。スパイスカレーは炒め料理で、玉ねぎ、にんにく、しょうが、トマトを炒めて好きな素材をスパイスと塩で味を調えるだけだ。スパイスも何十種も必要なわけではなく、数種類を混合するだけでも十分美味しいカレーができる。
非常に簡単なのに難しそうという印象から広まってない現状を知ったとき、もったいない!と感じた。そして同時にスパイスカレーの魅力をもっと伝えたい、伝えるべきだと思った。そのためにもっと簡単なレシピが必要であることは明らかで、初心者のために無駄をそぎ落とした、最も単純化されたレシピを書こうと決めた。そこからスパイスカレーを勉強して、毎日100近くの国内外レシピを読むこともあった。どんどんと蓄積されていく知識から初心者に最も大切な部分だけを残して、実際に作りながら簡単に感じるスパイスカレーのレシピを書くようになっていった。
私のスパイスカレーのレシピはそういう出で立ちがあるために、これまで書いた6冊の拙書はかなり標準化されていると思う。
たとえば「ひとりのスパイスカレー」においては、すべて1のレシピで紹介した。ある意味究極的に標準化している。玉ねぎ1個、トマト1個、にんにく1かけ、しょうが1かけ、使うスパイスは3種類で調合比は1:1:1。もちろん味が美味しいことは最低限守る必要があり、そのうえでの標準化である。これほどまでに思い切ったスパイスカレーのレシピ本は類を見ないが、これほどの標準化が必要だと思っていた。我々にとって慣れ親しんだ和食とは異なり、異国で、なおかつ難しそうと思われているスパイスカレーだからこそ、必要な標準化なのである。
※ひとりぶんのスパイスカレー(山と渓谷社)より抜粋
ここだけの話、インドでのレシピを数多読むとわかることだが、それぞれのスパイスは一度に使う量が大体決まっている。玉ねぎ1個に対して、コリアンダーだったら小さじ1~大さじ1、クミンだったら小さじ1/2~小さじ2程度であり、これらはひとりぶんのスパイスカレーにも当てはまっている。しかし、ターメリックは0(使わない)~小さじ1/2が本場インドでの通常量であったので、書くときに非常に悩んだ。しかし、小さじ1にしても美味しいカレーが作ることができたこと、日本人には親しみ深いカレーになること(カレー粉の第一主原料がターメリックであるため)から、覚えやすさのほうを重視してターメリック小さじ1にすることにし、これにより3種のスパイスの比率が「1:1:1」となった。
これらの標準化があったおかげか、多くの方にレシピ本が読まれるようになり、カレー好きの人だけではなく、主婦の方や自炊をしている大学生にもスパイスカレーを楽しんでもらえるようになった。少しずつだが、家庭料理になりつつあるようである。
といっても、まだ、カレーというとカレールーを連想する人が多いようなので、スパイスカレーの家庭普及は依然として道半ばといえる。
私は今、23歳である。スパイスカレーが日本の家庭で当たり前に作られるようになる世界を、あと6年以内に築き上げたいと思っている。標準化されたレシピでスパイスカレーを日本の一般家庭に広めること、これは私の20代のうちに達成したい目標だ。
スパイス初心者のための会社 香林館(株)代表取締役。1996年生まれ。「スパイスカレーをおうちでもっと手軽に」をモットーに、初心者のためのオリジナルスパイスセットの開発・販売をする他、商品開発マーケティング、コンサルティング、料理教室運営など幅広く活動。現在は東京大学大学院で食品科学の観点から香辛料の研究中
著書
「おもくない!ふとらない!スパイスとカレー入門」スタンダーズ株式会社
「ひとりぶんのスパイスカレー」山と渓谷社
「私でもスパイスカレー作れました!」サンクチュアリ出版
「スパイスのまほう」秀和システム
「おいしくやせる!簡単スパイスカレー」青春出版社
など