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ILL-BOSSTINO氏に聞く「規格外が作る、スタンダード」(前編)

2021/12/10

自由に放置すれば、多様化、複雑化、無秩序化してしまうような「もの」や「事柄」を少数化、単純化、秩序化することを「標準化」といい、そこで決められた、ある「取り決め」(標準)を文章に書いたものを「規格」と呼びます。
裏を返せば、規格とは、それぞれ事情の異なる立場や主張などをもった関係者が、一つのテーマについて、様々な検討や話し合いの結果生まれたものと言い換えることもできます。ただし、これは決して妥協の産物ではなく、正しく意見を戦わせた結果であり、それには相手に意見を伝えるためのスキルが欠かせません。

一切の妥協を許さず、長年にわたりシーンの最前線で活動し、聴衆を魅了し続けているILL-BOSSTINO氏。
規格策定等を考えるうえでのヒントとすべく、ヒップホップにおけるルール(規格)や氏のメッセージの伝え方などについてお話を伺いました。

JSA(以下、J)
私はかねてから、ヒップホップと標準化や規格には共通点があるのではないか?と思っていました。本日はぜひそのような角度から色々お話を伺えればと思います。
ILL-BOSSTINO氏(以下、BOSS)
面白いね。とても興味深いなと思う。まぁでも全部そうだよね。インターネットだってそうだしね。MacだってWindowsだって規格だよね。

ヒップホップの成立過程とグローバル化

J:
そのとおりです。読者の方にはヒップホップをご存知ない方もいらっしゃるので、まずはヒップホップの成立過程と、そこに存在する「ルール」ついて伺いたいと思います。
BOSS:
ヒップホップと規格(標準化)の世界は常に関わり合ってるところはあると思う。ヒップホップが初めて生まれたのは、80年代のニューヨークで、サウスブロンクスの厳しい暮らしからなんだけど、いわゆるアメリカの豊かさや白人優位な世界じゃない、ある種「規格外」なものから生まれてきているんだよね。
今は豊かさの象徴になってきてる部分もあるけど、当初はヒップホップって、やっぱりアメリカっていう社会の中でアウトサイダーっていうか、もう社会のギリギリの隅っこに置かれた奴らが作ったカルチャーだから。今はもうアメリカの白人にもヒップホップは流行りまくってるんだけど、当時はもう本当にマイノリティだけのものだった。
だから規格外から生まれて来たことは確実。それはもう絶対そう。
アメリカっていう社会の「ものさし」から外れた状態からいきなり始まったっていうかもう、ほぼ突然変異っていうか、間違いのようなもの、「バグ」みたいな形で生まれたのがヒップホップだと俺は思ってる。
そういう意味では、国レベルの規格云々っていうこととは全くの対極から生まれてきたものなのね。
でも結局、長く続けていくとそれが「型」になっていくっていうか、ヒップホップもまたそこから逃れられない。だから俺もやっぱりその「型」(規格)に入っている、俺自身もそこに所属しているっていう意識はあるよね。
J:
それが今ではもはや「グローバルスタンダード」になっている、と言えますよね。
BOSS:
完全になった。各国ごとでオリジナリティももちろんあるけれども、ヒップホップって枠はもう世界に広がった。パンクもジャズもレゲエもそうなんだけど、全てが抑圧に対するカウンターで出てきたカルチャーだから、最初はやっぱりそれまでの価値観じゃないもの、「without」っていうポジションから始まるんだけど、やっぱり「見えざる手」っていうか、それが調整して1つの「型」になっていくんだよね。
そうすると今度は「それはヒップホップじゃない」みたいな、ヒップポップの中に「規格」を作って「これはヒップホップだけど、お前のやっているのはヒップホップじゃない」みたいなことも発生する。矛盾を秘めている部分は大いにあるね。

俺らのヒップホップはアメリカでヒップホップが生まれてから何10年後に札幌で産声を上げたんだけど、やっぱり日本のヒップホップっていうのはアメリカのヒップホップからすれば、マイノリティっていうか、アメリカのヒップホップっていう大きなもの、そこからさらに辺境にある、日本語でアジア人がやるもの、それが日本のヒップホップだよね。さらに日本のヒップホップだけをクローズアップしてみると、昔は東京がヒップホップの中心で、札幌の俺達っていうのはさらにその外の辺境の田舎者のやるヒップホップだったんだよ。だから俺らは「規格外の規格外」みたいな感じだった。
俺らは1997年にTHA BLUE HERBの活動を始めたんだけど、当時は自分達の音楽を買ってくれるレコード会社も皆無で。「じゃあ自分たちでやろう」って言って始めたんだけどね。俺たちがデビューした時は「そんなのヒップホップじゃない」とか、もうそれは散々に言われましたよ。

ヒップホップにおけるルール1-オリジナルであること

J:
それは何故だと思われますか?ヒップホップは懐が深い部分もあるように思いますが。
BOSS:
表現が特異だったんだと思う。でもやっぱりね、ヒップホップには不動の大義名分があって、「オリジナルであること」が全てなんだよね。アメリカの黒人が最初に始めたのもそれだし、「オリジナルでなければならない」っていうのは、もう不文律っていうか絶対の教えというか。だから俺らもそれでやり続けてきたから、「そんなのヒップホップじゃない」って言われるのは俺らにとっては逆に名誉だと思ってた。
ヒップホップって結局「逆境から生まれそこで響くもの」だからね。
ずっとそういう風にやってきて、25年経ってTHA BLUE HERBっていう存在が大きなものになって、それに影響された人達も沢山現れて、今度は「THA BLUE HERB以降」みたいな、俺たちもまたスタンダード、「規格」のようになっていったと言えるね。
J:
THA BLUE HERBのスタイルに憧れている若いラッパーは多いですよね。
BOSS:
ヒップホップって、一言で言えば、規格と反規格が常にせめぎ合っていくっていう感じなんだよね。面白いよね。
J:
なるほど。規格も常に進化をしているところがありまして、「規格からはみ出る」っていうのは悪い意味では「規格外」つまり、「品質を満たしていない」ということなのですが、逆に規格が示している水準よりもっとレベルが高いものが出てくれば、それも規格外になります。そうなると、今度はその「規格外」に合わせてまた新しい規格を作って、技術等がレベルアップされていくのです。
BOSS:
そういうことだよね。ヒップホップも最初期はニューヨークのサウスブロンクスの黒人の人たちが始めて広がっていったんだけど、最初はニューヨークだけ。でもそこからロサンゼルスの黒人にも浸透していく。そうなるとロスとニューヨークじゃ気候や考え方も全然違うし、今度はシカゴや南部のアトランタが入ってくるとそれはそれで全然違うって感じで。新しい波が来るたびに「これはヒップホップなのか?」「ヒップホップとは?」って論争にはなるんだけど、でも結局は取り込まざるを得ないっていうか。
今「規格もレベルアップされている」、って言われたけど、ニューヨークのヒップホップ自体もどんどんニューヨーク以外のニュアンスを取り込んで進化していったんだと思う。

すると今度はヨーロッパの人間が入ってきて、白人も来る、スパニッシュも来る、で最後俺たちアジアも来ると。そうやってヒップホップ自体がどんどん色んな血を入れていくっていう感じなんだよね。だからとてもアメリカ的だよね。
ここからはちょっとヒップホップから離れるけど、やっぱりアメリカもそうだしヨーロッパも何もかもなんだけど、色んな国の人とか色んな性的嗜好の人とか色んな人達が混ざってみんなすごい意見戦わせて、そこには暴力が生まれる局面もあるし、それは今も無くなってはいないけど、基本的にはやっぱり常にダイバーシティというか、交じり合ってるよね。
J:
異なるものどうしを組合せていく姿勢がヒップホップにはありますよね。

意見を主張すること

J:
残念ながら標準化や規格を作ることに関して、企業の中でまだそれほど理解が進んでいない現実もあります。また、国際規格を議論する場では、立場の異なる人々とやりとりしなければならず、そこもハードルではあると聞きます。
BOSS:
英語も喋れなきゃいけないしね。それは最低条件だよね。ハードな世界だ。さっきヒップホップにはルールがあるって話をしたけど、規格の世界でもルールが分かってなかったり、それを相手に握られちゃうとやられちゃうんじゃない?
J:
そのとおりです。
BOSS:
控えめで、あまり意見を戦わせないというのは、ある意味さっき言った多様な価値観が混在した中で生き残ってきたってわけじゃない日本の良さでもあるんだとは思うけど、海の外に行ったら全く通用しないよね。自分のスタイルとか考え方、日本はこういう技術っていうなんかこうしっかりとしたプレゼンテーションをすることは大事だよね。

自分を信じること

J:
BOSSさんがこれまで活動を続けてこられた「モチベーション」とはどこにあったのでしょうか?
BOSS:
一つ言えるのは、「対象は他者ではない」ということだね。誰かに勝ちたいということはもう確実にない。他者が相手ってのは一番最初の時期のモチベーションだね。
J:
他者との比較はされなかったんでしょうか?
BOSS:
ほんと最初だけだね。やっぱり札幌に住んでて、その向こうに東京のヒップホップがあって、俺から見れば俺の方が凄いし革新的だっていう思いがあったから。それがルサンチマンになってしまうか、跳ね返して前向きなものに変えるかっていう分かれ道もあったけど、でも幸運にも俺は弱気に絡み取られないで、正々堂々とね、俺らのカッコいいっていうことを公に訴えて、それでお客さんにも選んでもらって…という結果を勝ち取ったんだけど、何でそうなったのかってね、やっぱり時々自分でも思うんだけど、信じ切ってたんだよね。それ以外にないよね。
J:
ご自身の活動を信じたと。
BOSS:
そうそう。自分たちの能力であったり自分たちの音楽であったり革新性であったり説得力であったりスタイルであったりカッコよさだったり、何もかも。本気で心底信じ切っていた。
「東京もそこそこカッコいいけど俺たちもカッコいいぞ」じゃなくて「明らかに俺らがカッコいいからお前らにカッコいいものを教えてやる」みたいな感じで。本当にそれでしかなかった。
それはどこから来るのか分かんないんだけど、距離も良かったのかなと思って。東京と札幌の距離っていうか。俺がもし東京住んでたら、やっぱり東京の先輩とか色んなしがらみにそれこそ巻き込まれてたかもしれないし、その当時の東京も「上の人に言いたいことも言えない」みたいな状態だったからね。俺もそうなってたのかもしれないと思うから、すごく幸運だったなとは思うんですよ。
札幌っていう離れたところでノーマークで、まさかそこから本物が出てくるとは誰も思ってないっていうぐらいの時代の空白だったから。何もかもがはまったって感じですね。

規格外がスタンダードに

BOSS:
札幌って本当に音楽が盛んなんで。俺らの先輩の人達が昔の音楽とかの最良のものを俺たちに教えてくれてたから、本当に良いものを知ってたよね。
東京にも知ってる人は確かにいるかもしれないけど、あまりにも人が多過ぎて。変な話、「規格」がはまらないくらい多すぎて。それもいいんだけど、でも札幌は逆に小っちゃい街だから、ある意味規格(このクラブのこのサウンド、このDJのこのサウンド)みたいなものがちゃんとできていて、そこを信頼して今日まで追いかけてきたって感じだね。
だから俺たち確かに日本のヒップポップの中でとても革新的で最強だけどそれでもやっぱり昔の音楽でとても優れたものを知ってるし、そこに相変わらず憧れてて、そうなりたい、そういう音楽を作ってみたいと今でも思ってる。
俺たちが音楽全ての世界で天下を取ったとは全然思ってない。音楽全体の世界で言うと、とても小さな枝の存在というかね。もっと大きな木があるし、そこの周辺にいる小さな存在っていう認識はすごいあるね。
J:
先ほど、THA BLUE HERBも今やスタンダードになったというお話がありましたが、それをどうお感じですか?
BOSS:
結局ね、そこも淘汰される。俺らのそれも続かない。そりゃそうだよ。だって俺が20代の頃に50歳の人の音楽なんて聞かなかったもん。特にヒップホップは、そういうことはダメ。
今の20代が俺らの音を聴くのは止めないけど、それ以外に聴くべきものは他にあると思ってる。俺が20代の時に20代の気持ちを20代の自分たちの周りに歌って、でそれが30代になって40代なって、例えば結婚して子供が生まれて誰かが死んで、ヒップホップ不景気になって、仲間が減っていってとか色んなことがあったよね。震災も、今ならコロナもね。同時に俺たちの音楽が広がっていってとか、色んな変化と同時に歌ってきたんだけど、お客さんもそれと自分とを重ねて聴いてくれてるから、やっぱり生き方とかやってきたこととかを知ってるから理解できる訳なのね。テレビで偶然流れてきて「あ、いい曲だね」って万人が聴くようなラブソング的な、対象が誰だか分かんないようなものじゃないもん。そこはもう腹括ってる。

今20代の若い子達は若い子達なりの世界があって、それを歌い、共感される。そしてやっぱり俺らの音楽はとなると、ちょっともう、20代からは人生の進み方として先に行ってる。老けてるとも言うし、まあとにかく年は重ねてる。だから今の20代の子達は20代の子達でやるべきだと思うし。仮に彼らが45歳とかになった時に、THA BLUE HERBの30代、40代の時のサウンドを聴いたらそれなりに感じ取ってくれるはずだと思う。それでいい。

自分で考え、自分で行動すること

J:
なるほど。私はTHA BLUE HERBをずっと聞いてきて、その過程でライフステージも変わってきたので、とても実感があります。
BOSS:
そういうもんだよ。だから俺たちの音楽は常にそういう人たちを対象にせざるを得ない。「結局争いなんて意味ないんだよ」ってさ、俺に言われたって、10代そこそこの子達でそんなことを無条件に聞くようなやつの方が終わってるから。ヒップホップとして。
だから20代の子達や10代後半の子達は、自分で試行錯誤して、自分で失敗して、自分で気づかなきゃダメだね。ヒップホップに関してはね。
他のこともそうかもしれないけど、特にヒップホップはそうだね。「自分でやるしかない」、「自分で考える」しかないんだよ。
J:
THA BLUE HERBには、世代を飛び越えていく『REQUIEM』のような曲もあると思いますが。
BOSS:
俺にだって俺なりに自分の若さで挑戦した音楽もある。『REQUIEM』は挑戦した。もう少しで戦争を経験した人達が全員いなくなってしまうので、その前にその人達に届いて欲しいと思って挑戦した。
とても勇気のいることだったけどね。
そういう感じで今度は自分より若い人達、20代の子達に向かって何かをやるっていうことも挑戦としてはいいんだけど、でもヒップホップってスタイルの「ぶつかり合い」だから。街と街、人と人でもあるけど、世代と世代でもやっぱりぶつかり合いだから。
でも俺が今の20代に「いいかお前ら、こうなんだよ」って上から言うことほどカッコ悪いことはないね。
20代の子達から見ればヒップホップ的にはそれは最悪のサポートだね。そこはもう「Set Them Free」っていうかそうするしかない。自分で気づくしかない。でもさっきの戦争の歌のことはそういうのを超えてるからね。むしろ「こう思うんです」ってちょっと目上の方の時代に向かって言わせてもらうっていう挑戦だったんですよ。
J:
世代間の闘争っていうのは企業などでもある部分はありますね。
BOSS:
やっぱりそうなるよね。ヒップホップもそう。俺は今50歳だし、でもさっき言ったように若い子達に上から押し付けるようなことはしない。だって、若い子達からも学びはあるっちゃあるしね。

ILL-BOSSTINO


Yuki Shimbo

北海道札幌代表、THA BLUE HERBのラッパー。1997年のTHA BLUE HERB RECORDINGS設立時から、THA BLUE HERBのフロントマンとして、そしてレーベルCEOとして、一貫して地元札幌を基盤に、自身の分身である唯一無二の言葉と共に、日本列島47都道府県を縦横無尽に駆け抜け、説き伏せてきた男。旧来のそれとは一線を画す、「D.I.Y.」から出発した独立心に基づくレーベル運営、そして中央から遠く離れた土地からの音楽、思想、文化の発信スタイル、その全てを根底から変えたその行動、言動は、この国のアンダーグラウンドへ覚醒を促し、時として「THA BLUE HERB以降」と言い換えられる。プレシャスホールを母体とする札幌の音楽シーンのダンスフロアに現在も身を置き、多大な影響を受け、学び、吸収し、自身の音楽観を今尚高めている。ヒップホップの精神性へのこだわり、そしてあらゆる「GOOD MUSIC」に対してのオープンな姿勢は、THA BLUE HERBのオリジナリティに、そしてHERBEST MOON名義、CALMとのDJ&制作プロジェクトJAPANESE SYNCHRO SYSTEMでの活動へと直結している。これまでに、DJ KRUSH、AUDIO ACTIVE、clammbon、GOMA da DIDGERIDOO、CALM、B.I.G. JOE、般若、SEEDA、SHINGO★西成、G.CUE、山仁、ラッパ我リヤ、MIGHTY CROWN、REBEL FAMILIA、DJ YAS、刃頭、DJ QUIETSTORM、grooveman Spot、OLIVE OIL、DJ BAKU、MICHITA、asaなどの盟友達と共に作品を残してきた。

THA BLUE HERBのILL-BOSSTINO、同郷、北海道が生んだワールド・フェイマス、リビング・レジェンドのdj hondaとのまさかのジョイント・フルアルバム、全16曲収録の「KINGS CROSS」を11月17日(水)にリリース。

▼アルバム: dj honda × ill-bosstino「KINGS CROSS」▼
アーティスト : dj honda × ill-bosstino
タイトル : KINGS CROSS(キングス・クロス)
レーベル : THA BLUE HERB RECORDINGS
発売日 : 2021年11月17日(水)
販売店URLs : https://thablueherb.lnk.to/kingscross