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片渕須直監督に聞く 映画、規格に見る技術の記憶-色彩を中心として(後編)

2021/02/19

片渕監督へのインタビューの最後となる後編では、戦争遺物の重要性、技術の記録と規格についてお話をいただきました。

戦争遺物と、技術の記録と規格
J:
戦争中でもその顔料メーカーの需要はかなりあったのでしょうか?規格から推察すると塗料メーカーは活発だったようにも思えるのですが。
片:
戦時中、様々な産業統制が始まりましたが、産業統制も政府が直接やるのではなくて、産業会を沢山作らせて、統制は業種ごとに自分たちでやらせました。その過程で、同一製品を作る業種、同じ業種の中でも同一製品を作っている会社は統合してしまう、あるいはどちらかの製品を廃止させるという考えが極端に進み、実は戦争中はメーカーがものすごく減りました。
航空機用塗料のメーカーも膨大な数があるかと思って調べたのですが、6社に減らされていました。
例えば、当時飛行機を作っていた愛知航空機は自分たちで塗料も作りたかったのですが、強制命令で廃止させられています。
このようにして戦争中はメーカーを統廃合したので、塗料メーカーもどんどん数を細らせています。そこで残した会社にたくさんの分工場を持たせるというようなやり方をしていました。
当時の色彩を再現するのに一番ネックなのは顔料ですね。零戦の機体塗料J3の顔料は白と黒だけなんですよ。当時の黒は油を燃やしているのですが、原料の関係で純粋な黒ではなく青みがかった黒ができます。
蛍光X線分析装置にかけて中の無機顔料の成分を調べるなどの分析は、東京文化財研究所(東文研)でやってもらっています。
J:
遺跡発掘と同じですね。
片:
そうですね。
こうしたものは「産業遺産」なんです。戦争に関係するものだからといって忌避ばかりしていると、当時の工業技術の記録が全部抜け落ちてしまうんですね。
『この世界の片隅に』でもそのようなシーンがありますが、特に戦争中のものは終戦後に自分たちで資料を焼いてしまっていますので。
余談ですが『この世界の片隅に』の中で焼かれている図面は中島飛行機荻窪研究所(現在のクイーンズ伊勢丹の場所)を解体するときに出てきた本物のエンジンの図面のコピーを使っています。
戦争中の遺物も、産業遺産として、遺跡と同じだと考えなければなりません。
日本最初の飛行機は明治42年で、それが終戦の昭和20年までの本当に短い30年あるかないぐらいの歴史の中で、ジェットエンジンまで行くわけです。本来であれば記録できるはずの歴史は、戦争のために多くの資料も捨てられてしまっていますので、戦争中の遺物は貴重な「技術の記録」として残さなければならないと思っています。
J:
規格自体がタイムカプセルにもなるのですね。
片:
そうです。飛行機に関しても、実はそういう認識があまりされていなかったんですね。例えば映画『トラ・トラ・トラ!』(1970年)では、黒澤明監督は完璧主義でしたので、製作当時、わざわざ飛行機まで作っていますが、戦争中の飛行機のパイロットの方がまだ四十代だったので、そのお話を聞いて「色」を再現しています。
J:
人間の記憶に基づく再現ですね。
片:
そうです。その頃には殆どの場合は記憶で話がされてきたんです。ところがしばらくすると「実物を見た方がいいのではないか」という話になるんですね。実機というか、残骸ですよね。その残骸が、例えば零戦の現存するものはこういう褐色だったというんですよ(写真を見せる)。
先ほどの『トラ・トラ・トラ!』の色と全然違いますよね。これも我々が20年ぐらい前に解明したのですが、要するに戦後に紫外線の暴露や温度の関係で変色しているのです。そのことを計算に入れないと、これが本物の色だとなってしまう訳です。
また、機体内部構造ももともとは青だったのですが、緑に変わってしまっているのです。

「零戦は2色ある」という説も出ました。アメリカの研究者もそのように発表していたりするのですが、実はアメリカでは墜落した日本の飛行機をお土産として兵士が沢山持ち帰っているので、それら現存遺物に基づいて考えてしまっていたのです。
実物があるだけにそのような説が出た訳ですが、アメリカに現在あるものは黄色く変色しているんです。
このように残っている実物から、「この色が正しい」という論調が出てきたのですが、そうだとするならば元の規格に戻らなければなりません。
J:
拠り所はやはり規格ですね。
片:
当時こういうものに携わっていたのは、日本海軍だと、海軍航空技術省の材料部です。その実験レポートに貼られていたのは青だったんですよね。
例えば顔料の配合比では、零戦の灰色はカーボンブラックと亜鉛華という二つの顔料しか使っていなかった、という史料があります。ではなぜ青がかっているかというと、カーボンブラックはアンセラトン系の煤なので、自動的に青がかるんです。ですが、基本的には灰色です。このような文献史料による記述と、東文研や日本航空協会にも協力をいただいた成分分析を照らし合わせました。
J:
実際に成分分析をして、規格通りなのかを確かめたと。
片:
はい。自分たちで実物や史料など色んなものを見て推論したものを最終的に科学的なチェックとして、実際の配合に基づき、東文研で確認してもらいました。
規格と照らし合わせたときに、褐色ではなく灰色の方が正解だったと分かるんですね。最終的には当時の規格と一致したと考えています。
J:
規格との答え合わせですね。
片:
そうですね。そのためにも、戦争遺物については、綺麗にするなど、余計な手をいれずに、そのままとすべきと考えています。
例えば、飛行機では、リベットが正しく打てていない形跡があるものなんかもあって、そこから非熟練技術者が製造に携わっていたことが類推でき、ひいては当時の基礎工業力をはかることができます。「規格通りに作れなかったもの」も意味がある訳です。
こうしたことは、「誰々さんがそう言っていました」というお話を集めても限界がありますが、実物が残されていれば一目瞭然となります。
先ほどの呉の高角砲の煙の色ですら、お話聞いているだけでは分からなかった訳です。実物が残っている、あるいは、規格やそれに準ずる工業的な根拠があればそれを照らし合わせることができるのです。

繰り返しになりますが、戦争遺物を残さなければ、当時の産業の状況が分かりません。
それによって、塗料メーカーが戦時中どのように統制されていたか、産業が戦時体制によりどのように阻害されたかに考えが及び、さらに「あの戦争とは何だったのか?」というところまで考えることができます。
兵器という見方をすることも勿論大事だと思うのですが、それは同時にその時期の日本の産業の最先端技術でもありますから、遺物は残すべきではないかと思います。
これらが、色の規格だけでもかなり見えてくることがあるのです。

片渕須直



アニメーション映画監督
1960年生まれ。日本大学芸術学部特任教授。日本航空ジャーナリスト協会会員。
監督作はTVシリーズ『名犬ラッシー』(96)、長編『マイマイ新子と千年の魔法』(09)など多数。『この世界の片隅に』(16)は異例のロングラン上映を達成し、2019年には新たなエピソードを加えた新作『この世界の(さらにいくつもの)片隅に』が公開された。