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マキタスポーツに聞く音楽と日本のものづくり(後編)

2021/02/17

中編ではマキタスポーツさんに「ルールの重要性」や「共通言語であり壁としての音楽」、「音楽の普遍性」についてお話をいただきました。
最終回となる後編では、「音楽と工業製品の類似性」や「今後のものづくりの可能性」についてお伝えします。

「試用性」の高い音楽・製品の可能性
J:
このような時代下で、次に注目される音楽の形態とはどのようなものとお考えでしょうか?
マ:
あくまで消費されるだけの商業音楽を作っていくこともいいのですが、ステイホーム期間中に星野源さんが、「うちで踊ろう」をインスタグラムで出しました。あれなんかは「試用性」の高い音楽だと思っていて、皆さん適当にカスタマイズして遊んでくださいねっていう意味なんです。
売り物になる以前のものとか、未完成品を出しているんです。わざと。
当時、安倍首相も使ったことで話題になりましたけど、ああいう政府の人まで乗っかってくるような場の提供というか、「試用性」の高いものを提供する音楽っていうのはこれからもっと増えてくると思います。
J:
要は未完成の、ちょっと加え所があるようなものが増えてくると。
マ:
遊びがいがあるということですよね。だから「主役はそちらですよ」ということです。
やっぱりアーティストって、上から、半歩先、一歩先くらいのところから聴衆に投げるイメージがあるじゃないですか。そういうことでもちょっとなくなってきているのかな、と。もちろん受け手側も、凄い作家性の強いものを頂きたい、アーティストを見上げていたいという欲望もあると思うんだけど、「試用性」のあるものがこれからは増えると思います。
でも、これは特別新しい話でもないんです。もう90年代からとっくにあって、カラオケで歌われるかどうかというのはまさにそれなんです。カラオケというプラットフォーム、そういう場があったからですね。今はコロナでカラオケは行けなくなってしまっていますが、そうなるとネットで遊べるものとか、そこで「試用性」のある音を提供するっていうのが重要になると思っています。
J:
ここは今後のものづくりを考えるうえでも凄く重要な部分ではないかと思います。これまで企業は「完璧なものを出すべき」という考えが強くあったと思うのですが、そうではないところに一つのマーケットがあるのかもしれませんね。デジタル技術の進展によって、アルビン・トフラーの言う「生産消費者」が増えたのも理由かもしれません。
マ:
そうですね。ただ、どういうふうに遊ぶのか?ちょっとはっきり分からないところがあるんですよね。
2014年なんですけど、私のラジオでの発言をきっかけに「10分どん兵衛」が流行ったことがあるんです。日清のどん兵衛の担当の方と話した際、その方は10年休まず毎日どん兵衛を食べ続けていると聞きました。ちょっとあり得ないですよね。あり得ないと思うんですが、なぜやっているかというと、「定点観測」をするためなんですよ。だから、お湯を入れて待ち時間5分を絶対守るんですよね。当然僕のように、10分待つ、なんて考えたこともないんですよ。
J:
製品開発者の立場としてはそうでしょうね(笑)。
マ:
そうです。製品開発の立場としてはそういうことでしょう。定点観測のため、決められた事項を守って、湿度とか気候のことを意識すると。起点が作れないと観測はできないですよね。なるほどと思いました。僕みたいのは「エクストリームユーザー」というらしいんですけど、自分の気の向くままにやっていて、なんとなく10分ぐらい経てば美味しいって自分では思っちゃったんですね。
ここは、メーカー側は中々分からないですよね。メーカー側としてはやっぱりここまでのクオリティーで、ということを色々考えてやるんでしょうけど、それが正解がどうかは、甚だ分からないという例です。
YouTubeとかにしても、わざと未完成というコンテンツも既にあります。未完成品というか、いい加減な作りというか、編集もわざと雑にする。それも別にモードとして考えたら結構当たり前なので。
ただ、どこに正解があるのかちょっとよく分からないですよね。
音楽と工業製品の類似性
J:
マキタスポーツさんは、音楽と工業製品の類似性のようなお話もされていましたが、音楽業界についてはどうでしょうか?
マ:
そうですね。これまでは生み出されてくる商品や作品というのが「過保護」だったんじゃないかなとか思うんです。ちゃんとした検閲、パスを通り、ハンコを受けて、色々な関係者のお墨付きとかそういったものを潜り抜ける。例えて言うなら6・3・3制で学校を出て、大学も入ってちゃんと就職するかのような工程で産み落とされてくる作品がほとんどです。
だから「イレギュラー」みたいなものはどんどん無くなっていって、それ故ある程度のアベレージ(クオリティー)を保てたと思うんですよ。それが工業製品と音楽の類似の話です。音楽が工業製品化することはプラスもありますが、一方でプロパーというか純粋培養というか、汚れを知らない、非常にお行儀の良い作品たちが生み出されていくことにしかなりません。

そんなシステムから生み出されている音楽を僕達は享受してきた訳ですが、遡って考えてみると、「ならず者」たちが作ったものとしか思えないモノもやっぱりあったんですよね。例えばインディロックカルチャーであるとか、さらに年代的に遡ればアングラレコードとか、そこから出てくるようなアーティストとか。
フォークソングとかあの辺の人たちにしても、それこそフォーライフ・レコードなんて吉田拓郎さんを始めとしたミュージシャンが作ったレコード会社ですよね。そういう人達が音楽産業の中に新規として参入してきて、旧態依然とした勢力から批判を受けながらもそれを変えようとする。
やはり、従来の既成の音楽業界の外から話が出てこないといけない。そういう「夷狄」は外側から、周辺からやってくるものなので。
そういう勢力がまた経済を構築し、そこの中で新たな純粋培養の人たちが育ってきて、我々の80年代のインディロックは、BOØWYみたいな人達が出てきた訳じゃないですか。ブルーハーツとか。それがまた中心に行くことにもなります。やっぱり「夷狄」なんですよね。真ん中ではなくて周縁からやってきて、揺さぶって、自分たちの島を作っていった人達。音楽業界ではもう20年以上前からそういう人達が出てきていないように思います。

でも最近は例えば米津玄師さんにしても、始めはボカロPとして出て、簡単に音楽業界の食い物にされないように、自分の仲間内だけで小さい政府を作って自分たちで行うとか、クオリティーについて外側から言われないような体制を作って管理する。矢沢永吉さんが、そういう体制を作って、スポイルされないためにやってきたようなものとかを、最近は米津さんみたいな人達がやっています。

ポップミュージックは大衆と接しているジャンルな訳ですよ。一方、音楽祭など、色々なグランプリがあって、一番の権威はレコード大賞ですが、グランプリの内容は権威が決めている訳ですよね。権威が決めると、大衆の意識と乖離しやすいんです。
「大衆は教育して啓発していかないと分からない」なんてナメていると、絶対に失敗すると思います。ここは気をつけなければならないところだと思います。
DA PUMPの『U.S.A.』とかも、ダサいから面白いと言う見方で売れた訳じゃないですか。でもミュージシャン業界とか音楽業界には、ダサいから面白いっていう観点はつい最近まで無かったはずですよ。本気でカッコいいと思っていないと、という感じで。でもここは大衆の方がもっと先を行っていて、駄目なものとか、ダサいものとかに、いとおしくて面白いという観点をとっくに持っていたんです。
J:
オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』を思い出しました。オルテガは「工業化が大衆を作った」と言っていますが、大衆の動きをどうつかむかはアーティストとしては重要ですね。それをマーケティングというのかもしれませんが。
マ:
かつての音楽業界が持っていたマーケティングが今も機能するかはあまり分からないです。沢山データを取って数字取れば良いものが出せるのかというと、なんかちょっとそれもつまらないですよね。
西野カナさんは完全に割り切ってアンケートの中から歌詞の世界観とか作っていましたね。
でもそのまま30代のフェーズに突入することはできなかった訳ですが、身の引き方というか、リセットの仕方も見事だったと思います。
ものづくりのスタンス
J:
一方で、アーティストとして、自分が好きなものをひたすら作ることはどう思われますか。それが結果的に人に受けいれられることもあると思います。
マ:
僕はその方がアーティストとしては正しいと思います。マーケティングなんかは、例えばレコード会社の人たちがやったり、所属している事務所のブレーンが考えてあげてほしいですし、かつてはレコード会社側にA&Rっていうシステムがあって、それがアーティストのマネージやプロデュースをものすごく考えたりしていましたが、形骸化して単なる肩書きでしかないケースも結構あるんです。
やっぱりアーティスト側は自分の世界に入り込んで、自分の好きなことをやって、ひたすら縦に縦にどんどん掘っていくことの方が良いんだと思います。美学といいますか。
J:
本日は長時間お話をいただきありがとうございました。最後に日本のものづくりへ向けて一言お願いします。
マ:
僕はつい最近「雨ふれば」という歌を出しました。いわゆる90年代のパワーポップに倣ったもので、J-POPのテクニックを沢山詰め込んでいているんですが、敢えてそれは言わないようにしました。実は、表向きは無意味な歌詞を羅列し、でも心を込めて歌うことによって、いかに馬鹿馬鹿しさが生まれるかを見るためのネタだったんです。
ところが、いざ作ってみて、当たりまえの歌詞に心を込めていいメロディーでグッドアレンジでやると、本人が結構感動するという変な現象が起きたんです。
レコーディングしている最中に「俺すげえいいこと歌ってるんじゃないか?」みたいな気分になったんですよ。
こういう結構当たり前のことを歌う歌詞ってJ-POPにはたくさんあって、無意味と言われることもあるんですけど、やっぱりメロディーとか、あとさらに言うとそれを歌っている人がどれだけそのフレーズを信じているか、祈りみたいなものがそこに込められているか、であるということに逆に気が付く結果になりました。

今更それが分かったというか。やっぱり詩というものは、メロディーとか、いろんな意味合いでもって願いが込められて作られていて、本当にその人が思っていることの一断片がそこに現われているということなんだ、と。
だからまますます歌詞は読み捨てられなくなったと感じました。本当に強い気持ちを持っている人の信念は見続ける価値があるじゃないですか。
だから、デジタル化した現代のものづくりにおいても、やはり「信念」のようなものは必要なんじゃないかと思いますね。


マキタスポーツ

芸人・ミュージシャン・俳優・文筆家と幅広く活動。
“音楽”と“笑い”を融合させた「オトネタ」を提唱。また独自の視点でのコラム・評論などの執筆活動もあり、著作には「越境芸人」「一億総ツッコミ時代」「すべてのJ-POPはパクリである」などがある。
俳優としては2012年に公開された山下敦弘監督作品「苦役列車」をきっかけに、第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞を受賞。その後も「おんな城主 直虎」「忍びの国」「みんな!エスパーだよ!」など多くの出演作がある。