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マキタスポーツに聞く 音楽と日本のものづくり(前編)

2020/09/25

フランスの経済学者であるジャック・アタリは、1977年に著した『ノイズ─音楽・貨幣・雑音』の中で、「音楽は予言的であるが故に来たるべき時代を告知する」と述べています。
事実、音楽はテクノロジーの面でもレコードからテープ、CD、MD、ダウンロードからサブスクリプションサービスへと他の分野に先駆けて変貌を遂げています。
この「音楽」を紐解けば、来るべき日本社会へのヒントが得られるかもしれません…。
前回のレナさんにつづく「研究家に聞く」シリーズ第2弾として、今回は、お笑い芸人、ミュージシャン、俳優、作家としてマルチなご活躍をされているマキタスポーツさんに、お話を伺いました。


モノマネについて
JSA(以下、J):
日本はものづくりにおいて、長らくその品質の高さから「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われ、世界をリードしてきた訳ですが、近年は世界に通用するモノが中々出せなくなってきていると感じます。
そこで今日は著書「すべてのJ-POPはパクリである」で音楽分析をされているマキタスポーツさんに、最近の日本の音楽の傾向についてお話頂き、日本のものづくりへのヒントにできればと思っています。
マキタスポーツ:
(以下、マ)
よろしくお願いいたします。

J:
マキタスポーツさんは、「作詞作曲ものまね」をされていますが、日本のものづくりも古くはこの「真似」から始まっており、「真似」はとても大事な行為だとも思います。まずこの点について、何か感じることはあるでしょうか?
マ:
そうですね。モノマネについて語る前に、まず、現在は音楽を作る上で技術を要さなくても作れてしまう時代なんですよ。昔だったら、鍵盤、ギターなど特別な修練、技術が無いとまずミュージシャンになれなかったのが、今はデスクトップで音楽を作り、楽器を持ったことがない人間でも、ツールを使って音楽を作ることができます。
ヒップホップ以降の一つの形式というか様式で「サンプリング」というものがありますけど、要は元ネタありきで、要素を組み合わせて「再編集」することで、オリジナリティとしてしまう。それがもう基本的に標準装備というか当たり前なんです。

モノマネは、どこの部分を一番大きく見せるかが重要です。それによって、モノマネとしてわかりやすく見える訳だし、大げさにデフォルメするほど可笑しみが生まれたりする、っていう鉄則がありますから。
でも今は、デフォルメすることもなく、身体的な技芸として落としこむこともなく、機械的なものを駆使して、要素を組み合わせることによって、オリジナリティが創出できてしまうんです。
「学ぶ」の語源の「真似ぶ」は音楽においても相変わらずで、ある要素同士を組み合わせて作っているからモノマネといえばモノマネなんですけど、現代はそれが分かりづらくなっているんですよ。元ネタが分かりづらくなってきているということもあるかもしれないけど、より巧妙になってきているし、元ネタをうまくアップデートするというか、そういう一つの「イデオム」がもうみんな備わっている。それが当たり前なので、下手に元ネタを隠したつもりで何かをやってしまうと、「パクったでしょ?」と簡単に言われてしまう。とてもリスキーな時代なんですよね。だから僕は音楽的な話ではありますけど、モノマネが下手になってきているということよりも、より複雑化してきたということなのだと思います。
J:
モノマネもレベルが高くなり、それがデフォルトになっていると。そういう意味では、ものづくりはかつての時代よりももっと進化できるように思います。
マ:
言葉がわかりにくいかもしれないけど、モノマネが基準化しすぎているというか。デフォルト過ぎるというか。当たり前すぎるというか…。
例えば、ローリングストーンズにキース・リチャーズっていうギタリストがいるんですけどね、彼は例えばマディ・ウォータースとかブルーズマンからの影響を感じさせる。でも、本人がそういうところにルーツがあると言っても、解釈の仕方なのか技術の無さなのか、もうキース自身の味にしかなってないという感じなんです。その意味では、キースはモノマネが下手か上手かで言ったら下手なのかもしれません。
でもモノマネであったことはあったと思うんですよ。だけどそれが自分の身体性とマッチした時に何か変なズレとか変な歪みみたいなものが生じて、それが彼のオリジナリティになっていると思うんです。
でも現代はそうではなくて、ある元ネタをリソースとして持ってきて、それをカットアップしてがっちゃんこ出来てしまえば、身体性がないまま、組み合わせというか配列というかそういうもので精工にして巧妙にして複雑なモノマネ品が出来上がってしまうし、でもそうなると、モノマネ性というものも薄らいでしまいますよね。
J:
真似から「身体性」が失われたことが停滞の一つの理由と考えられるのでしょうか。
マ:
どうでしょうか。人間は生き物なので、体のクセとか必ずある訳だし、結局頭で解釈していても体を通して出てきたときには変なクセが付いていたりとかするから、それをなるべく排除していけば、すごい技術になるのかもしれないけど、逆に味も素っ気もないものになってしまう可能性もある。だから体のクセを通すことによって「オリジナル」が作られていた部分は結構あったんだと思います。
人間の、「何かから学び、それを真似て、何かを吸収して、それを編集して出す(守破離)」という営みは基本的に変わらないですよね。今は人間の身体性を通さなくてもできるモノマネのレベルに到達しているのではないかと思います。

でも、問題は、そうやって身体性が無く、機械的に複雑にやっていくと音楽が良くなるかというと、そうでもないということなんです。
右肩上がりの成長神話って音楽に関してはとっくの昔に無いと思うんですよ。かつてだったら60年代とか、ビートルズの功績が大きいですけれど、レコーディング技術にしてもそうですが、コンセプチュアルなアルバムを作り、1枚を通して物語性があり、曲尺もどんどん長くなり、しかもジャケットのアートワークにしても芸術的なものが入り込み、総合的なモノとして楽しむようなことがありました。
次にそのフォロワーが生まれ、脱ビートルズを志向する人達の中で技術の方向に振ったバンドは、プログレッシブロックを生み出しました。曲尺がさらに長くなり、難解なコード進行や、モチーフとしてクラシックを入れ込んだもので、今度はとても誰しも真似できないようなすごいテクニカルな音楽が生まれたわけです。
そうなると、今度はより戻しでそういうのはやっぱり良くないとなり、急に曲尺が短くなったりする…これらはまだ70年代まではあったと思いますよ。
そうやって、無邪気にロックやポピュラー音楽といったものが、技術的にもそうですし、精神面においても、創意工夫されるようなことが右肩上がりに行われていた時代があったと思うんですよね。でも、これをやり過ぎても別に何もいいことないなとか、だんだんそういうことに気づいていっていると思うんですよね。
J:
揺り戻しはいつの時代にもありますね。
マ:
そうですね。小さい反復みたいなものはあると思いますね。
今はDTM(デスクトップミュージック:パソコンを使用して音楽を作成編集すること)が当たり前の時代になって、しかも特別なメソッドを持っている人間がそれを駆使して新たなものを作り、再現性がだんだん乏しくなるくらいのところまで行くんですけど、またこれが小さなサイクルですぐシンプルなものに戻ったりしますよね。
あとはそれらが並存してもいます。今でもフォーキーでアコースティックな音楽もある訳で、最近、瑛人さんの「香水」が流行りましたけど、あれは完全にそんな曲じゃないですか。歌われている世界観も真新しいものではないです。情けない男の気持ちとかそういうものは、日本人は特に好きで、切っても切り離せないというか、日本のポップミュージックにおいて、ずっとあり続けているものです。音楽的にもそんなに斬新なことは無いと思います。
長谷川白紙さんという、打ち込みとかで音楽理論に裏打ちされたすごい高等なこととかをやるアーティストがいたり、一方で瑛人さんみたいなフォーキーなものがいたり、あいみょんさんがいたり、Ofiical髭男dismがいたり、King Gnuがいたり、幅広いですよね。
King Gnuなんて芸大のエリート集団で、プロジェクトとして大衆音楽をやろうと言ってポップミュージックのフィールドに入ってきているんですね。芸大の人達が敢えてそういう大衆性のあることをやって、その結果が『白日』だと。
それから、僕がよくやるネタで星野源さんがあるんですけども、童謡をおしゃれなコード進行でやると、彼の音楽に聞こえるんです。これは「ヨナ抜き音階」といって、「ペンタトニックスケール」とも言うんですけど、ファとシが無い音。ドレミソラ、この5音を組み合わせることで出来上がっているスケール、音階になっています。
星野さんや、あと米津玄師さんなんかもそうですけど、この「ペンタトニックスケール」を結構使うんですよね。だけど音像としては結構高級で、アレンジにしても、コード進行にしても、すごい複雑なものを使ったりしています。
だからちゃんと大衆と手を結ぶために、童謡レベルのメロディーを使うんです。これはすごくポピュリズム的で、ちゃんと大衆と手は繋いでいる訳ですよ。だけどそうじゃない部分で超おしゃれで上等なことを行う。そういうギャップを上手く作って、音楽的なスタイリングをする設計図になっているんです。


マキタスポーツ

芸人・ミュージシャン・俳優・文筆家と幅広く活動。
“音楽”と“笑い”を融合させた「オトネタ」を提唱。また独自の視点でのコラム・評論などの執筆活動もあり、著作には「越境芸人」「一億総ツッコミ時代」「すべてのJ-POPはパクリである」などがある。
俳優としては2012年に公開された山下敦弘監督作品「苦役列車」をきっかけに、第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞を受賞。その後も「おんな城主 直虎」「忍びの国」「みんな!エスパーだよ!」など多くの出演作がある。