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マイ・スタンダード ライター 高橋ユキ

2023/08/11

★アンコール掲載(初掲:2019/12/03)★

 私は2005年に刑事裁判の傍聴を始めた。いわゆる心の風邪で、それまでプログラマーとして勤めていた会社を休職し、その後退社していた時期だ。大学卒業後、就職のために九州の田舎から上京し、なんとか身を立てなければならないという妙なプレッシャーを感じながら仕事を続けてきた。それなのに、うつ病になったことで社会人生活が中断してしまった。就職氷河期の挫折は痛い。もうまともな会社員には戻れないだろう。それならば、人生の中休みで、仕事と関係ないことをやってみよう。こうしてさまざまなノンフィクション本を読み漁った末に、裁判所に行くことを思い立ったのだった。

 傍聴するだけではあきたらず、傍聴記録を発信するためにブログを立ち上げたところ、書籍化のはこびとなり、そこから傍聴ライターとしてのキャリアがスタートした。

 その後、週刊誌記者などを経てフリーランスのライターとなり、2019年に『つけびの村』という書籍を出版するに至った。この元原稿は、紙媒体での掲載や書籍化が見込めなかった、いわゆるボツ原稿だ。取材にかけた時間を取り戻したいと、あるウェブサービス上に一部有料として全文掲載したものが、半年後に突然たくさんの方に読まれたことが、書籍化のきっかけとなった。

 さて、2005年に立ち上げた傍聴ブログが書籍となった際も、本作『つけびの村』刊行後も、週刊誌や月刊誌、ウェブメディア、新聞など、さまざまな媒体から著者インタビューの話をいただいた。その席上、インタビュアーから9割以上の確率で出る質問が「どうして傍聴を続けているのか」「なぜ事件を取材しているのか」というものだ。

 たらればの話になるが、もし私が大学卒業後から、週刊誌記者や新聞記者、もしくはフリーランスのジャーナリストとして仕事をしていれば、このような質問は受けないだろう。最初から〝仕事〟であったならば、世の中は納得する。その前段階の「なぜ週刊誌記者や新聞記者を志したか」には興味は払われない。別の仕事をしていた身でありながら、事件や刑事裁判に関心を持つことはどうやら〝異質〟な存在として見られるようだ。難しい世の中である。

 ひとつの事件を例に挙げたい。2000年7月、東京に住んでいたイギリス人の女性が失踪した。家族が来日し、懸賞金をかけて有力情報を求める。警察はほどなくして、生前の彼女が働いていた六本木のクラブに客として訪れていた男に疑惑の目を向け、捜査を進めた。女性の行方は杳として知れなかったが、翌年1月、神奈川県逗子市にある海辺の洞窟内でバラバラになった遺体が発見される。そこは男の所有していた別荘の近くだった。のちに、男はその女性に対する殺人罪に加え、他の女性らに対する準強制わいせつ罪などでも起訴される。私が刑事裁判の傍聴を始めたのは、この男に対する公判が東京地裁で行われていたときだった。

 あらかじめ目にしていた新聞記事やワイドショー、そして書籍により、その事件の概要や、男が頑として罪を認めていないことなどは知っていた。だが、なぜ彼がそんなことをしたのか、私にはさっぱり分からなかった。そもそも彼は否認しているのだから、別に犯人がいるのかもしれない。裁判が続いていると書籍には書いてあった。であれば、彼が直接、事件について話すことばがいずれ法廷で聞けるのではないか。当時、事件ノンフィクションを読みあさっていた私は、他にも同じような思いを抱く事件がいくつかあった。法廷で直接、言い分を聞きたい。刑事裁判を傍聴したいと考えたのはそんな思いからだった。

 そう、刑事裁判では、罪に問われている被告人の発言を直接聞くことができるのである。加えて、裁判には、様々な証拠のほか、事件関係者らも証人として出廷し、証言することがある。ワイドショーや新聞、書籍で得た事件の断片だけでは、私にはとても足りない。このまま、よく分からない事件として忘れ去ってしまうのは嫌だ。穴だらけの情報を自分が見聞きした情報で埋めたい。そんな気持ちで刑事裁判の傍聴を始め、気がつけばもう15年目になる。

 人を傷つけ、悲しませるような事件を起こすというのは、私にとっては、なかなか理解しがたいことだ。いや、私だけでなく多くの人にとって、きっとそうではないだろうか。最近は、刑事裁判を傍聴するだけでなく、関係者取材や、拘置所での面会や文通も行うようになった。こうしてさまざまな場所で取材を続けるのは、刑事裁判の傍聴に行こうと思い立ったのと同じ動機だ。つまり、事件が起こった背景には何があったのか、また事件はどのようにして起こったのか。それを少しでも知りたい。

 親やきょうだい、友人や先輩、先生や上司、同僚など、様々な人との出会いや、様々な場所での暮らしを経て、いまの私がある。であれば事件を起こした当事者も、それは同じだろう。事件を起点として、彼らの辿ってきた人生を遡り、さまざまに考察する。折々に彼らが紡いできた人間関係を紐解き、分析する。それは結局、事件をきっかけとした、人間そのものへの興味関心に他ならない。刑事裁判の傍聴を長年続け、いまも事件を取材する自分の、根底にあるものだ。



高橋ユキ

ライター
福岡県出身。2005年、女性4人で構成された裁判傍聴グループ『霞っ子クラブ』を結成。以降、フリーライターとして殺人等の刑事事件を中心に裁判傍聴記を雑誌、書籍等に発表している。主な著作に『木嶋佳苗 危険な愛の奥義』(徳間書店)、『暴走老人・犯罪劇場』(洋泉社)などがある。