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マキタスポーツに聞く 音楽と日本のものづくり(中編)

2021/01/04

前編ではマキタスポーツさんに現代のモノマネの状況を起点に「身体性の欠如」などについてお話をいただきました。
中編では「ルールの重要性」や「共通言語であり壁としての音楽」、「音楽の普遍性」についてお伝えします。

暗黙のルール
J:
現代アーティストの村上隆さんは、日本のアーティストが世界で活躍できない理由として、本当は存在する「暗黙のルール」を知らないこと、また、そのルールメイクに日本が回れないことを挙げていました。
音楽も同様に、「売れるためのルール」のような「暗黙のルール」はやはりあって、それが、「大衆と手をつなぐ」ことなのでしょうか? これは、アーティストも知っていてやっているのでしょうか?
マ:
結構意識していると思いますし、僕はそうであってほしいとも思うんですね。それで何が悪いの?って思います。だってこんな時代に生まれて、我々はポップカルチャーをもう物心付いているときから、テレビ・ラジオ・雑誌などで当たり前に浴びていて、MTVを観て、という時代を生きてきて、CDがもの凄く売れた時代も経験し、いわばカルチャー中毒でズブズブになっている訳ですから。
これが昭和ひとケタ生まれの人たちだったら、いきなりこの世界に連れてこられたらもう処理的に追いつかないと思いますけどね。
だから本当にもうそういうのは当たり前だし、送り手側も享受する側も暗黙の了解がみんな備わった状態でお互い理解した上でやっていることなので、そういう意味ではリテラシーが高い次元にあると思うんですよ。
J:
超ハイコンテクストですね。
マ:
そうですね。かつてだったら「国境の壁」って大きかったのかもしれないですけど、それもインターネットによって壊れちゃいましたから。かつての日本は音楽でやり取りするコミュニケーションレベルがやっぱりドメスティックなマーケットで成立していたんですね。そこでガラパゴス化したものが、J-POPという独自のものとして、生まれてきたところがあったと思うんですけど、今はもうないですよ。
逆に、国内の音楽レーベルとか音楽産業に関わっている人たちは、そういう障壁を利用することもできたと思うんです。言葉が通用しないところでは売らないということで。1億2千万人だけをターゲットにしていればいいから、と障壁を逆利用したところもあると思います。「何で外国で活躍する人達がいないんだ!」という人達もいますが、それでいいじゃないか、ということがあったんじゃないですかね。
一方でミュージシャンは、国内の壁を越えられないと思ってすごくコンプレックスを感じて、だから矢沢永吉さんとかにしても、海外にチャレンジするっていうことがありました。自分のアーティスト性とか、物語性の中で、そのチャレンジする自分、松田聖子さんにしてもそうですが、チャレンジすること自体が、アーティストの想いとは裏腹に国内のマーケットではそれが物語として消費されていた訳です。
共通言語と壁
J:
規格も同様で、それは共通言語ともなれば、参入障壁にもなり得ます。
マ:
似ているかもしれません。
実際には海外側にしても、ロックとかポピュラーミュージックとか一番主要なところを産業として握っている人達がいて、そこに外国人がいきなり参入してくると、障壁を設けようとする訳ですよね。言葉の壁とか色んなこと言って。やっぱりネイティブじゃないとだめだとか。でも今の時代はそんなんじゃなく、ネイティブじゃないピコ太郎の「PPAP」がウケけてたりもするし、そっちの方が面白いってことになるんですよね。ただ単に向こう側のマーケットも文句をつけるようにして参入障壁みたいなものを作るというか、「言葉の壁」を便利に使っていた面って、実はこれまで国内と海外の双方にあったと思うんです。
それも内々の、その経済圏の中での人達が作ってきた勝手なルールというか、暗黙の掟みたいなこともあったと思うし、それを盲信していた人もいた訳ですけど、インターネット時代になったら、言葉の壁はもはや効力を持たないんですよね。

僕もすごく考えたことがあったんですけど、音楽的な理解って、音楽を知っている人にとってはどこの人種だろうが、どこの言葉を使っていようが、音符が読めればそれが「共通言語」じゃないですか。
音楽的なルールは数学と同じなので、超ユニバーサルなんです。ところがこれは意外と知られていないんですよ。だから一般聴衆のほとんどは音楽を聞いている時にテクニック面が分からないので、言葉、つまり歌詞からしか理解しようとしない。あとメロディーなんですよ。
だからまず「言葉の壁」っていうのは当然出てくるし、何をしゃべっているか分からないっていうつまずきをするのが、どこの土地であっても普通の人から出てくる感想です。「お前らの世代の聞いている音楽は分からない」と日本語でも世代の違う方に言われるじゃないですか。「言葉の壁」はそういうところにもある訳で。
そして次がメロディーですが、メロディーはやっぱり地域性と言うか、そういうエスニックなものが絶対あります。だけど、それでも、聞いたら直接脳に直撃して反応できるものなので、気持ちいいというか、理屈じゃありませんよね。言葉はやはり理屈でキャッチしてしまうものじゃないですか。だから、言葉とメロディっていうのは一番大きかったと思うんですよね。
音楽の普遍性
J:
音楽において普遍性を持つものとは何でしょうか?
マ:
一番普遍性があるのは、リズムなんです。
リズムはもっと理屈ではなくて、リズムが気持ちいいとそれが人の心を高揚させて行きます。言葉が違っていても関係ないです。リズムはそれくらいの魔力があります。
リズムとメロディーを駆使すれば、例えばジャズなんかは別に国境の壁はないですよね。だからインストゥルメンタル系の音楽とかは、80年代など、まだ国と国との壁があった時代でも越えられたんですね。
言語の意味よりも、リズムやメロディー、スーパーテクニックの技量さえあれば、活躍ができたと思います。エクストリームな音楽でいえば、メタルもそうですね。日本のバンドでもラウドネスは早くから海外で活躍していました。
ただ今のこの時代は、パソコンを開けば、地球の裏側の情報がリアルタイムに手に入るわけだし、夜中に誰かがツイッターで何か発信したり、YouTubeで中継を見たときに、ブラジルの片隅に暮らす誰かが何か面白いと思えば、「いいね」ができるわけです。
ものづくりに関して言うと、モノを作ることと発表することに関して、こんな素敵な時代はないし、楽な時代は多分ないと思います。
自己実現や承認欲求を満たしてくれることに関しては、人類史上で初めてのレベルに到達しているのが現代だと思います。

では、その先はどうするのかという話です。僕はお笑いもやりますが、僕が始めた当時ぐらいから「お笑いの学校」が全盛になりました。
舞台に立って、呼吸を合わせて、声量を上手くコントロールすることで巧みにお客さんから笑いを引き出して…とかは、5年以上修練しないとなかなか身に付けられないっていうのが何となく我々共通の認識でした。
でもネット時代になって、YouTubeがあり、そういう学校に行かなくても、手持ちカメラで撮った動画を編集して、毎日アップする。ちょっとつっかえても、それを上手く編集でカットアップして、それが面白く見えたらいい訳です。それが出来る時代に、学校でお笑いについて学べることってあるの?っていう。

後編へ続く。




マキタスポーツ

芸人・ミュージシャン・俳優・文筆家と幅広く活動。
“音楽”と“笑い”を融合させた「オトネタ」を提唱。また独自の視点でのコラム・評論などの執筆活動もあり、著作には「越境芸人」「一億総ツッコミ時代」「すべてのJ-POPはパクリである」などがある。
俳優としては2012年に公開された山下敦弘監督作品「苦役列車」をきっかけに、第55回ブルーリボン賞新人賞、第22回東スポ映画大賞新人賞を受賞。その後も「おんな城主 直虎」「忍びの国」「みんな!エスパーだよ!」など多くの出演作がある。