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マイ・スタンダード(私の標準)作家 長嶋有

2023/07/26

★アンコール掲載(初掲:2019/11/05)★

二歳になった娘にテレビゲームを遊ばせる。遊びたがるからコントローラを渡してあげるのだが、さすがにまだ操作することはできない。ジャンプだけ担当してもらって、移動は僕がやろうとするのだが、それさえままならぬ。
 どのゲームでも「だいたい、このボタン押せばジャンプ」と言って、押すとだいたいそうだ。コントローラの右手側にひし形に四つ並ぶうちの、下のボタンがそうだ。
 しかし、なんで自分はそう分かっているんだろう。ゲーム協会のようなところで「このボタンはジャンプとすべし」と規定されているわけでもないだろうに。


 コントローラーの形だって、規格化されているのに等しい。左手側、親指の位置にアナログ入力のできるスティックがあり、少し下には十字型のボタンがある。
 キャラクターを「移動」させ、ジャンプや攻撃などの「アクション」をする。主人公が戦闘機であれ、人間であれ、多くのゲームが移動とアクションのことだが、必ず左手で移動、右手でアクションを担うことになっている。
 このことは、任天堂が83年に発売した「ファミリーコンピュータ」のコントローラが決定づけた。世界的にヒットしたゲーム機が、操作の基礎を標準化したのだ。
 でも、83年に発売されてすぐ、そうなったわけではない。数年かけて普及していく中で、追随するゲーム機が倣っていったから、そうなった。
 つまり、黎明期のゲームは「左手で移動、右手でアクション」とは必ずしも限らなかった。特に、パソコンのゲームはそうだ。
 パソコンにはコントローラは付属しない。あるのはキーボードだ。標準的なキーボードで「方向」を示すボタンはカーソルキーで、それはキーボード全体の右側にある。
 だからパソコンのゲームは「右手で」主人公を操るのが普通だった。
 ゲームセンターも、ごく初期(ファミコンより前、『パックマン』や『ギャラクシアン』の頃)のコントローラは「両対応」だった。真ん中にレバー、左右にボタンが配されており、左右のボタンはどちらを押しても同じアクションをする。右利きも左利きも、利き手でレバーを握り、押したいボタンを押せばよいようになっていた。
 パソコン用に販売されたゲーム用の「ジョイスティック」という外付けコントローラも、その多くは中央にレバー、左右にボタンが配置されていた(余談だが、独創的なデザインセンスと多くの独自規格路線を進めていた80年代のソニーは、パソコン用に発売したコントローラの、右側に十字型のボタンを配置してみせた。パソコンゲーマーはカーソルキーで操作するから、そちらが標準だという考えだろう。趨勢はすでにファミコン式になりつつあったからそれは徒花となったが、今思い出しても独自のデザインの、素晴らしいコントローラだった)。
 このときの利き手への「配慮」がのちに事実上淘汰されたことが面白い。レバーではない、十字型のボタンの右にも左にもアクション用のボタンが用意されてもよかったわけだ。だがボタンを増やす分、コストがかかる。
 淘汰されたのは、ゲームの操作に「利き手」など、実は存在しなかったということなんだろうか。それとも、不得手な利き手の人間も、ゲーム好きは皆、克服していったということなんだろうか。左利きの人は右利き用のハサミを「一生懸命練習」すれば使えるようになるだろうが、そんなことはしない。だが、ゲームはどうだろう。なにしろ熱狂的な遊戯性をもつ娯楽だ。
 ゲーム遊びたさのあまり、多くの人が「一生懸命」利き手を克服したんじゃないか。
 ジャンプボタンが常に特定のボタンに定まったのは『スーパーマリオブラザーズ』によるだろう。ファミコンのコントローラの右側にはボタンが二つあった。外側がAボタン、内側がBボタン。Aボタンがジャンプで、Bボタンは「加速」。
 その『スーパーマリオ』があまりにもヒットしたから、同様のルールのゲームがたくさん出てジャンル化したし、ライバル社も含め、標準化せざるを得なくなった(後年、アクションボタンが四つに増えた際、ひし形の下がAボタン、右上がBボタンになった)。
 ライバルのセガが『スーパーマリオ』のヒットを受けて制作した『アレックスキッドのミラクルワールド』は、内側のボタンがジャンプだった。ゲーム内容以前の、そのボタン配置に「我はライバル也」というメッセージをゲームファンは受け取った。
 ……受け取ったものの、おおいに苛々した。既にマリオに慣れきった指が、ボタンを間違えて押して失敗すること多々で「そういう対抗心いいから!」と心で叫ぶことになった。
 だが同社が後に「スーパーファミコン」のマリオのライバルとして世に放ったゲーム『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』は、マリオに追随したかというと、しなかった!
 そのゲーム機にボタンは三つ並んでいたが「どれを押しても」ジャンプだった。二つのボタンを必要としないゲーム設計で、やはり、ライバルとの差異化を操作で示してみせたのだ。マリオに慣れ切った指にも違和感なく遊ばせるもので、前を踏まえ、さらに「考え」を感じさせるものだ。
 デジタル世界のさまざまなことは、標準化を「話し合い」で定めていくと思う。コンパクトディスクにしても、再生ボタンに描かれるマークにしても。使用者の利便を思えば自然とそうなる。
 でも、話し合いなんかなく、売れてるものに否応なくあわせていく、乱暴に「定まって」いくというのは、テレビゲームにおける、ゲームソフト個々の面白さとは別の、大きな妙味だ。





長嶋有 作家

2001年デビュー。『猛スピードで母は』(2002年)で第126回芥川賞、『夕子ちゃんの近道』(2006年)で第1回大江賞、『三の隣は五号室』(2016年)で第52回谷崎賞を受賞。他の著作に『フキンシンちゃん』『私に付け足されるもの』など。俳人としても活動し句集に『春のお辞儀』がある。