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連載 新興国に学ぶイノベーション—UHC実現に向けた取り組み ①医療機器開発の潮流:なぜ新興国か 大阪大学大学院医学系研究科教授 中島清一

2020/08/17

連載① 医療機器開発の潮流:なぜ新興国か

皆さんのなかにはSDGsという言葉を耳にされた方も多いのではないだろうか。SDGsとはSustainable Development Goals、すなわち「持続可能な開発目標」。2015年に国連が提唱した当初は我が国ではあまり話題にならなかったが、最近は襟にSDGsのバッジをつけた人をよく見かけるようになった。掲げられた17の目標のひとつ、Good Health and Well-Being(人々に保健と福祉を)を達成するには、「全ての人が適切な予防、治療、リハビリ等の保健医療サービスを、支払い可能な費用で受けられる状態」、いわゆるUniversal Health Coverage(UHC)を実現する必要があるとされる。UHCは医療機器開発のあり方を変容させるのだろうか?我が国が意識すべきポイントとはなにか?本稿では3回にわたり、UHC実現のための医療機器開発のあり方、とくに「新興国に学ぶ」新しいイノベーションのあり方を考えてみたい。

UHCと言うと、「ああ、国民皆保険制度のことだろう?日本は達成済みだよね」という答えがよく返ってくる。筆者は、この答えは三つの意味で間違っていると思う。第一に、皆保険はUHC実現のための方策の一つであって、UHCそのものではない。第二に、Universalというのは「全ての人(世界中の人)」であって、「全日本人」ではない。第三に、仮に日本のかつての皆保険制度がUHC実現のためのモデルの一つであったとしても、現在の世界の国々が真似できなければ意味がない。高度経済成長の時代に築かれた我が国の保険制度は今や歪みや綻びだらけで、とてもsustainableとは呼べなくなっている。筆者は、我が国の皆保険制度をUHCの成功事例と評価することそのものには異論はないが、世界へ胸を張って呈示するなら、低成長、少子化、高齢化の時代においても持続可能な制度へどうやったら改変、再構築できるのか、その方向性も併せて示す必要があると思う。充実した保障制度を持続可能とするために、産学官民は今なにをすべきか。医療機器開発を主導する研究者の一人である筆者は、「安価で適正な性能を有する医療機器を全世界規模で普及させること」がUHC実現の一助となると考えた。

われわれ先進国の医療従事者の多くは、恵まれた医療インフラのもと、たくさんの先進的な医療機器に囲まれて医療を行っている。これら医療機器の性能は素晴らしく、デザインも洗練されているが、大きくて、重くて、消費電力も大きい。完全に使いこなすには相当熟練が必要なようで、どうやらたくさんある機能はその全てが使われているわけでもなさそうだ(医師には言えない)。精密機器なのでとても慎重に取り扱う必要があり、メンテナンスにも手がかかる(図1)。なにより、絶望的に高価である(医師には言えない)。このような環境にあるユーザーは、「こんなに多くの機能は要らない。もっとシンプルにしてくれ」と言うだろうか。実はこれがなかなか言えないのである。医師は医療機器にさらなる機能を求めることが医療の質向上につながると信じており、「高機能過ぎる」という本音は(本当はそう感じていても)言いにくい。また、いつでも電気が使えるのに「充電式にしてくれ」とは言わない(そのような発想をしない)。病院に優秀な工学技士がいるのに、「メンテナンス・フリーにしてくれ」とは言わない。では、医療従事者のニーズを受け止める方の企業(エンジニア)はどうだろう。彼らにとっては、自社技術をさらに高度化するような研究開発をすることこそが使命であり、さらなる高機能を訴える医師側と同じく、もっぱら機器のスペックを向上させることに心血を注ぐこととなる。つまり、先進国では、医療機器はスペックを向上させる方向へと直線的に改良・開発されていくのであって、UHC実現のための「安価で適正な性能」のデバイスを産み出そうとする力学が働きにくい環境にあった。

図1:扱いにくい機器に悩まされているのに、実際にはさらに扱いにくくなっていく...


このように、先進国では、研究開発はしばしばオーバースペック競争となり、時間と開発コストを費やすわりに、真のイノベーションを産み出しにくくなっていた。そこで2000年代に、欧米の先進企業は従来の先進国主導の研究開発を根本から見直し、新興国における白紙状態からの研究開発へと移行し始める。環境の整った先進国と異なり、新興国では現場に様々な制約があり、例えば「停電しても使えるもの」、「村へ自転車で運べる小型軽量のもの」、「取扱説明書の読めないスタッフでもメンテナンスできるもの」といった必要条件が剥き出しの状態で存在する。不足していることはメリットともなり得る。例えば、現時点ではインフラはお粗末であるが、いったん整備されたら一気に最先端のものとなるため、先進国よりもイノベーションが早く進展する可能性がある。実際に2000年代初頭から、GEヘルスケア、シーメンス、フィリップスといった企業がこぞって新興国へ乗り込み、先進国では気づきようのなかったユニークなニーズを発掘して、「小型超音波診断装置」や「ポータブル心電計」、「新生児保温器」等の革新的な医療機器を次々と産み出したのである。しかし本当に重要なポイントはここからだ。これらは新興国ニーズを満たすデバイスとして、確かにインドや東アジア諸国の医療現場に受け入れられたが、これらの多くは先進国でも通用したのである。こんにち、我が国の医療現場において、小型超音波診断装置は深い静脈にカテーテルを挿入する際に欠かすことのできない「ベッドサイド・エコー」となったし、ポータブル心電計はドクター・ヘリに常備されるようになった。新興国で勃発したイノベーションが先進国へ逆流する、「リバース・イノベーション」のはじまりであった。

現在から振り返ってみれば、これらの製品はいずれも「安くて、しっかりとした性能」を持つデバイスであり、先進国、新興国を問わず全世界で通用する、筆者が言うところのUHC機器そのものであった。「複雑であることが進歩である」、「低価格=低品質」という旧来のマインドセットを捨て去った意欲的な企業が、UHCという考え方が一般化する前に、少ないながらも成功事例を世に送り出しつつあったのである。そして、ご多分にもれず日本企業の多くはこのムーブメントに乗り遅れたのであった。

(続く)



中島清一 医学博士 大阪大学大学院医学系研究科 次世代内視鏡治療学講座 特任教授

1992年、大阪大学医学部卒業、同第一外科にて研修。1999年、同大学院医学研究科博士課程修了(医学博士)。2001〜2003年、米国コーネル大学外科(ニューヨーク)にて低侵襲外科学の臨床研究に従事。2004年大阪労災病院外科医長を経て、2006年より大阪大学消化器外科学助教。同講師を経て、2012年より次世代内視鏡治療学講座(プロジェクトENGINE)特任教授。消化器外科医として活動しながら、総括研究代表者として経済産業省委託事業をはじめとする多くの医療機器開発プロジェクトを主導している。専門は消化器外科学、低侵襲外科学、新規医療機器の研究開発など。日本外科学会指導医、日本消化器外科学会指導医(評議員)、日本内視鏡外科学会技術認定医(評議員)。http://project-engine.org/